『自由への道』岩波文庫版の第4分冊。第一部「分別ざかり」の2冊、第3分冊の第二部「猶予」の前半を経て、第二部の後半。「九月二十三日金曜日」と「九月二十四日土曜日」の第3分冊分のあと、ここでは「九月二十五日日曜日」から「九月三十日金曜日」の六日間を描く。
第1分冊は、2014年5月に読後の感想をこのブログにアップしている。第2分冊は、同年8月。2015年2月に第3分冊をアップしているから、4年も間が開いたことになる。
ここしばらく、サルトルは忘れ去られた存在であった。最近の哲学者、思想家は、サルトルを取り上げることがほとんどない。
いま、読んでいる中井久夫の名著「看護のための精神医学」のなかで、久しぶりにサルトルの名前に出会った。(もちろん、私にとっては、この『自由への道』自体で目にはしているわけであるが、他の著作家の書物等では、とんとお目にかかることがなかった。「看護のための精神医学」も、初版、さらにその原型は随分前の著作である。)
しかし、やはり、今になってみると、サルトルは巨大である。
日本でいえば。第2次世界大戦の戦後の、昭和の時代は、ほぼサルトルに覆いつくされていた、とすらいうべき存在であった。
巨大でありすぎて、当然の前提のように、空気のように透明化してしまっていたというべきか。文化人類学者、構造主義のレヴィ=ストロースが、「野生の思考」において徹底的に批判して以降は、無視された、というか。世の中で一番かっこ悪い「ちょっと前に大々的に流行したもの」の位置づけになってしまったというか。
しかし、今の時点に立って見ると、サルトルは、偉大であった。現在の思想状況は、実はサルトル抜きでは語れないような存在であるというべきなのだろう。
あまりにも影響の大きかったサルトルに対する「アンチテーゼ」として、その後の哲学、思想は、みずからの位置を定立せざるを得なかった。サルトルと同じことを語ったのでは当たり前すぎて、自分の思想、自分の作品になりえなかった。
学問としての哲学としては、フッサールやハイデガーらの現象学や存在論の影響下にあるものであって、独自性に欠けるという評価もあったはずだ。メルロ=ポンティのほうがちゃんとした哲学だとか。
しかし、「実存主義」という言葉は、サルトルにこそふさわしい。キルケゴールとかヤスパースとか、それ以外の人名も登場するが、「実存主義」という言葉が、何かの書物に出てきた場合、サルトルが念頭に置かれているのは、間違いのないことだ。
曰く、「自由の刑に処せられている」、「実存は本質に先立つ」、「参加=アンガージュマン」。
ひょっとすると、サルトル的な自由が、現在起きている様々な社会的な問題の根源、言ってしまえば「諸悪の根源」であるということだったのかもしれない。サルトルに対峙するところから、現代社会の諸問題に対する対応が可能になる、ということかもしれない。
このあたりは、それこそ、現代思想の根幹にかかわるところである。
「九月二十七日火曜日」の章から、例の「自由の刑に処せられている」というセリフの出てくる、パリ市内シテ島にかかるポン・ヌフ(新しい橋)のうえのシーンを引用する。(「新しい橋」と言いながら、実は現在のパリで最も古い橋らしい。)この小説は、私は初めて読むのだが、このシーンのことは、様々な書物でお目にかかっている。
「外部。すべては外部だ。川岸の木立、夜になるとバラ色に染まる二軒の橋近くの家。おれの頭の上にあるアンリ4世の騎馬像、ずっしりと重いすべてのもの。内部には、何もない、煙さえない、内部などない、何もない。おれとは、なんでもない。「おれは自由だ」と彼はからからに渇いた口のなかでつぶやいた。」(216ページ)
私は「無」である。このシーンでは、「無」であるということは否定的なことのように描かれている。ところが、サルトルの哲学によれば、「無」であることは、実は否定的なことではないはずである。自由であり、肯定的なことのはずである。しかし、このシーンにおいては、自由が喜ばしきもの、希求されるべきものとは読めない。苦しいことにしか思えない。「自由という刑に処されている」のである。
そして、この自由は、カール・ブッセのいうように「山のあなた」ではなくここにあり、メーテルリンクの「幸福の青い鳥」のように、ここに、自分自身の中にあるものだったという。
なんという残酷なことだろうか。
「ポン・ヌフの真ん中で、彼は立ち止り、笑いだした。《この自由を、おれはずっと遠くに探し求めた。ところが、こんな近くにあった。近すぎて見えも隠れもしなかった、それはおれ自身だった。これがおれの自由なのだ》。彼はいつの日か自分が歓喜に満ち、稲妻に貫かれることを願っていたのだった。ところが、稲妻もなければ歓喜もなかった。ただこの空虚、自己を前にしたこの眩暈のする空虚、透明であるために自己を見ることが永遠にできないというこの苦悩があるだけだった。」(216ページ)
自由を、歓喜に満ちたものではなく、苦悩であると断言したサルトルの罪、ということはあるのかもしれない。
しかし、今現在、この社会において、自由が喜ばしきものであると言い切ることができないのは、言うまでもない。
だがしかし、自由を奪われた状態が幸福である、などということは決してない。それは何にもまして苦しいことであり、不幸なことであり、悲惨なことである。これもまた、言うまでもないことである。
自由であることが、手放しで幸福なことと言えない現実。
「《おれの手、このほんのわずかな距離が事物をおれに啓示し、永遠にそれから引き離している。おれは何者でもない、おれは何も持っていない。光と同じくらい、世界と密接につながっているが、それでも光と同じように、そこから追放され、石や水の表面を滑っていく、決してひとつとしておれにひっかかることも、おれを埋めることもできない。外部だ。外部。世界の外、過去の外、自分の外、自由とはこの追放のことだ、おれは自由の刑に処せられている》。」
「自由の刑に処せられている」」ような自由、そんな自由ならいらない、のかもしれない。だれも、そんな自由は求めないのかもしれない。
しかし、それでも、ひとは自由を求める。私は、自由を希求する。
ところで、この小説は、コミュニケーションとか、交流、交通についての小説であるようである。
澤田直による解説から引く。
「いたるところで演じられる別れと出会いの場面。交通と交流という二つの意味でのコミュニケーションがさまざまに変奏される。汽車、船、飛行機という輸送手段が頻出するとともに、人びとをつなぐ手段としてのラジオや音楽などが随所に現れるのは、そのためであろう。」(480ページ)
飛行機や鉄道、船に乗って、登場人物は移動する。まったく別の場所にいる人びとがどこかへ向かって進む。物語の終結に向かって進んでいく。
この中で飛行機は、まだ、新しい技術であった。まだ、人びとにそれほどなじみのある交通手段ではなかった。
「この時代の最先端の輸送技術とは言うまでもなく、飛行機であり、1910年代からアポリネールの作品に取り上げられていただけでなく、多くの若者を魅了してきたことはサルトルよりも五つ年上のサン=テグジュペリがどうあっても飛行士になろうとしたというエピソードからも窺い知ることができる。」(500ページ)
一方、船は、どちらかというと旧時代に属するものであったかもしれない。
いちばん同時代的であり、人びとになじんでいたのは、鉄道であろう。
「とはいえ「猶予」のなかで最も重要な役割を演じる輸送手段は、言うまでもなく鉄道である。」(502ページ)
歩行できない病人、怪我人たちが貨物車で運ばれ、兵役に召集された人物たちが、ふつうに客車で運ばれる。
人びとは、どこに運ばれていくのか、どこに向かっているのか?この第4分冊の中では、まだ、その集結点は明らかではないかもしれない。
ある人はパリに向かい、パリがひとつの中心、ひとつの結節点であることは間違いがないが、また、離れていくようでもある。
で、ラジオである。登場人物たちがばらばらの場所で、どこかに移動していく、それらを繋ぐのは、ラジオの放送である。ヒトラーの演説や、イギリス、フランス等の首脳たちの動向が、離れた場所に同時に伝えられる。
この時代には、まだテレビはない。
交通手段による縦軸の移動、ラジオ放送による横軸の連結。
次の分冊で、登場人物たちは、どこに集結していくのか。あるいは、分散したまま終結するのか。「猶予」は、いつどのように終結するのか。
続けて第5分冊を読み始めている。
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