冒頭の「手についての断章」から、第一連を引く。
「樹木に囲まれた瀟洒な洋館のなかで
手を見ていた
彫刻家がつくりだした手たち
愛し合うものの手 神の 悪魔の 聖堂と名づけられた手――
ひとつひとつの手を扉をあけようとしていた
何かが現れようとしていた
不意に低音のフランス語がひびき囲んでいたひとたちが小さくどよめいた
案内してくれた女性が眼を覗きこむようにしてぎこちなく囁いた
――こんなにも偉大な彫刻家の手は恋人の才能に感動しながら彼女のおなかに触れてもそこに赤ちゃんが息づいていることを感じとれなかったのだと言っています
視線をはずし外の樹木を見やった
風が枝々を重く波立たせていた」(6ページ)
この偉大な彫刻家とは、たぶん、ロダンのことだろうな、とあたりをつけながら読んでいると、末尾の注によれば、確かにそうである。
ネットで検索すると、いま、パリのロダン美術館では企画展「ロダン、手が人を露わにする」が開催中とのことだが、さて、詩人が訪問した際に始まっていたものだったかどうか定かではない。
メゾン・デ・ミュゼ・モンド(世界の美術館の紹介を目的としたサイトのようである。)のHP
(http://www.mmm-ginza.org/museum/serialize/backnumber/0603/museum.html)
によれば、
「『カテドラル』や『神の手』、『悪魔の手』など「手」を題材とした数多くの名作を残したロダン。体の一部分としての手ではなく、それ自身として独立した手というテーマに取り組み続けた彫刻家とその制作の過程に迫る興味深い展覧会です。」
妊娠した恋人とは、カミーユ・クローデル、ロダンの才能ある弟子であり、内縁の妻との三角関係に悩んだ愛人である。この偉人は、「そこに赤ちゃんが息づいていることを感じとれなかった」。
鋭敏繊細な感覚を有するはずの芸術家が、なんと鈍感であったことか、ということになる。
第2連は、北海道小樽の、小林多喜二の母の手によるメモに寄せる詩行である。
第3連の「瀬戸内のあの地」とは、広島市にちがいない。終戦間際の「ヒロシマ」である。
あとがきにこんなことが書いてある。
「打ちのめされた人たちが途轍もなく優しいということを2011年の大震災で知った。絶望の度合いが大きいほどひとは優しくなるということも。」
「逝った人たちや、ひとつの時間を共に生き、いまそれぞれの時間を生きてある人たちへの思いとともに…書いた。」
詩人は、いつも、苦しんだもの、相対的に弱いものに、やさしくあたたかなまなざしをもって寄り添っている。そして苦しめるもの、強いものに、内に秘めた厳しい意志をもって戦いを挑む。
表面は、あくまで穏やかにやさしく、ディーセントな、上品な、思想の詩人である。
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