参ったな。これはたかだか45ページのブックレットである。しかし、このブックレットに対する応答は、ほとんど私の全生命をかけたと言って過言でないくらいの内容を要求される。
先日、職場に確か名古屋の方から電話があった。何か私が前に、ぎょうせいの「ガバナンス」に書いた文章のコピーを取っておいたのだが見当たらない、バックナンバーを見たが見つからないということで、しかし、「ガバナンス」に寄稿したことはない、たぶん、「地方自治職員研修」(公職研)のことだろう、内山節がどうこうということのようで、確かにそれに間違いないなどとお話ししたところであった。
ひょっとすると名古屋の方も、このブックレットを読まれての電話だったのかもしれない。
「地方自治職員研修」2011年12月号通巻626号の巻頭言「職員必読・この1冊」の欄で、内山節「共同体の基礎理論」(農文協)を紹介した。冒頭は、思想家・東浩紀が震災以降特に「ぼくたちはばらばらになってしまった」と書いたことを引いて、その対比で内山節を紹介した。
実は、内山節氏との出会い、というともう20年以上前のことになる。「森は海の恋人」の畠山重篤氏が講演会に氏を招かれた。会場は、植樹祭の会場にほど近い岩手県室根村(現一関市)の小学校体育館。穏やかでしかし確固とした氏の語り口に、私はいっぺんでファンになってしまった。いや、その前に、一編の著作は読んでいたのだったかもしれない。語り口だけでなく、その思想に共感したことはいうまでもない。
そのときに、私は長い手紙をしたためた。書きたい勢いのまま、私の字で、読まれる労力を意識しないままに書き飛ばした記憶がある。だから読んでいただけたのかどうか定かではない。書いた趣旨は、思い返すに「地方自治職員研修」に書いたものと同一である。
その後、内山氏の著作は目につくたびに入手して読んでいる。いつもながら深い学識と洞察に満ちた美しい文章に敬服している。
震災後の2011年になって、9月に自治総研セミナーに呼ばれてパネラーとして被災地からの報告を行った時、午前中の基調講演が内山節氏であった。(この時の記録は自治総研ブックレット13「虚構の政治力と民意」(公人社)としてまとめられている。)当時まだ喫煙していたので、喫煙室で氏とお会いすることができて、重篤さんのときにお話を伺ったなど、ご挨拶をさせていただいた。そのときにも、短く、ぼくは自由主義者で、みたいなことはお話ししたように記憶する。
その直後の12月号での巻頭言である。
さて、内山氏が、その文章を読まれているのかどうか定かではない。
しかし、私としては、今回のこのブックレットは、まさしく私に宛てた応答であるというふうにしか読めない。
まえがきは、以下のようなものである。
「現代社会は新たな混沌と分裂の時代を迎えている。近代的世界がつくりだしたさまざまなシステムは、国民国家も、市民社会も、資本主義も、民主主義や近代の理念も、すべてがその問題点を顕在化させ、有効性を失いつつある。そしてこのような時代だからこそ、これまでの価値観やシステムを維持したい人々の結集と、これからの社会のあり方を模索する創造的な活動を推進する人々とが、新たな社会分裂を起こしているのが今日である。/一方には経済発展、強い国家、自己責任型の個人の社会という旧来の価値にしがみつく人々が生まれ、他方では自然と人間の関係や都市と農山漁村の関係、個人とコミュニティ=共同体の関係を再創造しようとする動きが広がり、この動きは「ともに生きる社会」を可能とする「ともに生きる経済」のかたちをつくる活動を広げている。歴史の主権はどこにあるのかをめぐる、新たな対立の時代が始まっている。」
まえがきの全文である。
内山氏は、このブックレットで、明確にその対立の一方の側に立とうとされている。私は、その対立を私自身の中に解き難い難問として抱え続けている。解脱の境地に辿りつこうとする出家と、煩悩にまみれたその弟子のように。
地方自治職員研修の巻頭言は、私のブログ 湾に、「内山節「共同体の基礎理論」のこと。東浩紀と開沼博にも若干触れて。」として再掲している。ご参考まで。http://blog.goo.ne.jp/moto-c/e/f6f3fcac1621d1c84cad47a651b4f637
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