ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

ヤニス・バルファキス著・江口泰子訳 クソったれ資本主義が倒れた後の、もう一つの世界 講談社2021

2023-07-16 11:37:10 | エッセイ
 ヤニス・バルファキスは、カバー裏の紹介を見ると、1961年、アテネ生まれの経済学者で、ギリシャの財務大臣を務めた。2015年ギリシャ経済危機のさなかのことで、その後、2018年にアメリカの大統領選に名乗りをあげたバーニー・サンダース上院議員らとともにプログッレシブ・インタナショナルを立ち上げ、世界中の人々に向けて民主主義の再生を語り続けているという。

【SF小説であり、経済学書】
 この書物は、SF小説である。同時に経済学についての書物でもある。
 次のような記述を読むと、空想科学小説らしさは明らかである。

「信じられないことだが、ケルベロスをテストし、CRESTにスクランブルをかけたエネルギーが、どういうわけか時空に小さな折りたたみ構造をつくり出し、ワームホール――アインシュタインを物理学者のネイサン・ローゼンが唱えた、ふたつの離れた時空を結ぶトンネル構造――が開いたらしかった。」(68ページ)

 ケルベロスやら、CRESTやらは、優れた科学技術者であるコスタの卓越したテクノロジーによって作りあげられた装置、というか、システム、仕組みである。目的は別であったが、たまたまパラレルワールドを行き来する機能を備えてしまった。

「こうして通信手段が確立すると、コスタは夢中になった。…それでも4週間も経つ頃には、その男性――もうひとりのコスタ――と彼の暮らす世界の姿が、驚くほど詳しく浮かび上がってきた。」(69ページ)

 トンネルの向こうには、現在のこの世界とはまったく違う経済システムが運用される別の世界が存在した。

「時間を遡ってメッセージの内容を比較したところ、…個人的な体験も歴史の流れも、ふたりの世界はある時点まではそっくり同じだったことだ。…歴史、政治、社会、経済の面で…その時点を最後に大きく分岐した。その分岐点を突きとめたところ、2008年秋、つまり世界金融危機の頃とわかった。」(69ページ)

【オルタナティブは存在しうる】
 以下のところは、フィクションではなく、経済学者ヤニス・バルファキス自身の考えではあるまいか。

「コスタは長いあいだ、2008年の世界金融危機を絶好の機会だと考えていた。…あれを機に、社会を根本的に変えることはできたはずだ。ところが実際は、世界を変えるどころか、経営難に陥った銀行を救済し、労働者にその尻拭いをさせることで、以前と同じ社会を築く取り組みをさらに強化した。そしてそのグローバル体制の中で、政治と経済の権力を、破綻した銀行に事実上、大規模に譲り渡してきた。オルタナティブ――別の選択肢――はあった…はずなのだ。」(70ページ)

 オルタナティブはあったはずなのだ。
 登場人物のコスタは、オルタナティブを探るべく、「こちらの世界の憂うべき現実」とは違うあちら側の世界について質問を続けた。

「働く会社に上司がいないとはどういう意味か。銀行は存在するのか。誰も土地を所有せず、税金を支払う必要もないとはどういうことか。」(70ページ)

 その回答が、この小説の主たる内容である。オルタナティブが存在しうることを小説のかたちで示すことがここでの作家の意図であるだろう。その中身を、ここで詳しく吟味する必要もあるだろうが、そこは実際の書物に当たってほしい。
 しかし、向こうの世界にも問題はあった。それは、どういう問題か。小説上、向こうの世界の問題はそのまま放置されることになるが、こちら側の世界で、ここから、むこうの世界で実現したとされるひとつの理想を実現し、さらに、向こうの世界で解決し得なかった問題をも解決するという期待を描いて、物語は閉じるということになる。
 こういうシミュレーションは、それが正解なのかどうかは分からないとしても、必要なものであり、貴重な試みであるだろう。
 オルタナティブは、存在しうるのだ。



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