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気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

松岡正剛 日本文化の核心 「ジャパン・スタイル」を読み解く 講談社現代新書

2020-06-17 22:41:57 | エッセイ
 松岡正剛と言えば、編集者、稀代の読書家、大学教授ということだが、編集工学研究所の創設者であり、なんと言えばいいか、現在においては、重厚な教養人でありつつ、一方で「編集工学」などという新しい言葉を作って世の中に提示するような、軽やかな新しもの好きの側面もある。早稲田の仏文中退後に広告会社に勤めた経歴もあるらしい。
 松岡正剛=たらこスパゲティ、と私などはすぐに連想してしまう。今回も、冒頭から、たらこスパゲティである。
 〈はじめに〉は、こう書きだされる。

「1970年代の終わりのころだと思いますが、渋谷の「壁の穴」という小さなお店で「たらこスパゲッティ」を初めて食べたとき、いたく感動してしまいました。バターとたらこでくるめたパスタに極細切りの海苔がふわふわと生き物のように躍っている。それをフォークではなく箸で食べる。なにより刻み海苔がすばらしい。よしよし、これで日本はなんとかなる、そう確信したものです。」(3ページ)

「まもなくコム・デ・ギャルソンやヨウジがすばらしいモードを提供し始めました。世界中にないものでした。また井上陽水や忌野清志郎や桑田佳祐が独特の日本語の組み合わせと曲想にのってポップスを唄いはじめた。大友克洋の「AKIRA」の連載も頼もしい。よしよしいいぞ、これで日本はなんとかなる。そう感じました。」(3ページ)

 このところ、平川克己氏の隣町珈琲の本や、小林麻美の本など、このあたりの時代を描いた本を立て続けに読んでいる。高度成長の、日本の良き時代。しかし、それが反転する。宇野常寛の『遅いインターネット』も、このあたりの歴史を踏まえたものだった。
 私が高校を卒業して東京に出た6年間に重なる時期。そして、そのあと。
 ひょっとすると、日本が、一番輝いていた時期、ということになるのかもしれない。

「それから一〇年後、ふと気がつくと日本はがっくり低迷していました。民営化とグローバル資本主義が金科玉条になり、ビジネスマンはMBAをめざし、お笑い芸人がテレビを占めて選挙に立候補するようになり、よるとさわるとなんでもやたらに「かわいい」になっていた。」〈4ページ〉

 ここを読むと、松岡氏は、民営化、グローバル資本主義は否定的に捉えているし、日本らしさのひとつの象徴と捉えられることもあった「かわいい」という価値観も否定的に捉えているということになる。

「また一〇年後、ベルリンの壁がなくなった反面、湾岸戦争が新たな大矛盾をもたらしていたなか、日本はバブルが崩壊したままに「かわいい」文化を蔓延させていました。」(4ページ)

 グローバル資本主義によるバブルはここでいったん崩壊するのだが、「かわいい」は相変わらず蔓延していると。

「たらこスパゲティや独特ラーメンがなくなったわけではありません。むしろ和食はさらに工夫を磨き、アニメは日本の少年少女の幻想と哀切を描き、日本語のラップが登場し、オシムは「日本らしいサッカー」に徹するべきだと言い出していた。けれどもそうしたものが何を語ろうとしているか、小泉・竹中劇場の新自由主義の邁進や、グローバル資本主義に席巻されるマネー主義は、そうした試みを軽々と蹂躙していったのです。」(4ページ)

 バブルは崩壊しても、相変わらず、マネー本位のグローバル資本主義は席巻しており、ただ蔓延する「かわいさ」一辺倒みたいなことの陰で、松岡氏が評価し続ける本来の日本らしさはなんとか生き延びているということになる。しかし、陰に隠れてなかなか姿を現すことがない。

「日本の哲学が浮上するということはなかなかおこりません。Jポップや日本アニメや日本現代アートに何がひそんでいるのか、そこを明らかにするための日本文化や哲学はほとんど解説されはしなかったのです。これはいったん『愚管抄』や『五輪書』や『茶の本』や『夜明け前』に戻るしかないだろうと思えました。」(5ページ)

 『五輪書』は、剣豪宮本武蔵の著した剣術書、『茶の本』は、明治期の岡倉天心(芸大の前身東京美術学校の初代校長で、米ボストン美術館にも勤務した)が英語で著した書物、『夜明け前』は、島崎藤村の小説である。ちなみに『愚管抄』は、鎌倉時代初期の天台座主、藤原摂関家出身の高僧慈円による歴史書であり、日本史の教科書にも載っていたはずで、松岡氏の「千夜千冊」を見ると、かなり興味深い書物のようであるが、直接この本では触れられていない。
 以上の流れの中で、松岡氏は、この書物の執筆の狙いを記す。

「本書は…日本文化の真骨頂というか、日本文化の正体というか核心というか、ずばりディープな日本の特色がどこにあったのかについて、新しい切り口で解説しようと試みたものです。」(5ページ)

 しかし、日本の特色というものは、スパッと簡単にひとことで言い表せるようなものではないという。

「日本は一途で多様な文化をつくってきました。しかし、何が一途なのか、どこが多様なのかを見極める必要があります。日本人はディープな日本に降りないで日本を語れると思いすぎたのです。これはムリです。安易な日本論ほど日本をミスリードしていきます。本書がその歯止めの一助になればと思っています。」(8ページ)

 と、そういうことで、この本の叙述は始まっていく。「ジャパン・スタイル」の例が並べられ、〈日本文化の核心〉が明らかにされていくわけである。
 一つの例として、バサラが挙げられる。中世のバサラが、近世の傾奇(カブキ)、江戸時代開始前後の歌舞伎にもつながっていく。その系譜は、現代にもつながっているのだという。

「NHKの大河ドラマにもなった『太平記』には…高師直、…佐々木道誉、…土岐頼遠などが「ばさら大名」として紹介されています。
 バサラは大げさな恰好やふるまいをする過度な様子をあらわした言葉で、当時は「過差(かさ)」ともいわれました。…さしずめ「やりすぎ」「派手すぎ」「人目を引きすぎ」です。ばさら大名として最も有名な佐々木道誉は宴会を開くときは座敷に大きな桜の木をそのままどーんと飾って派手な連中を集め、大きな杯で酒を呑みほしたりしました。」(230ページ)

 記憶によれば、佐々木道誉は、大河ドラマでは、まさしくその桜の木の酒盛りのシーンを、ロック歌手から俳優になった陣内孝則が左右で柄の違う派手な衣装を着けて演じていた。なるほど、バサラか!カブキか!と当時、日本もなかなか面白い、変なものがあったのだ、これは無視もできない、と発見させられた思いであった。私にとっても、日本は再発見すべき対象であったのだ。

「バサラに前後の系譜があるとしたら、これより少し前なら後醍醐天皇を助けた楠木正成の「悪党」の一群や南朝ロマンの残党で、もっと前なら木曽義仲や巴御前で、これよりあとの例なら織田信長の「うつけ者」や歌舞伎十八番の市川団十郎、あるいは浮世絵の主人公たちでしょう。
 昭和や平成の最近ならば、私のパンクな好みになってしまいますが、たとえば江戸川乱歩、勅使河原蒼風、夢野久作、伊福部昭、鈴木清順、唐十郎、筒井康隆、原田芳雄、荒木経惟、戸川純、忌野清志郎、阿部薫、EP-4、電気グルーヴ、いとうせいこう、筋肉少女帯、町田町蔵(康)、アナーキー、アンジー、遠藤ミチロウ、スタークラブ、白髪一雄、中村宏、井上有一、山本耀司、押井守、椎名林檎……とか。」(231ページ)

 この例示、なかには知らない人物もいるが、なかなかである。いまどき、パンクと言ってどれほど通じるのかわからないが、大人しかったり、端正であったりというようなキャラクターではないのは明らかである。なにか過剰でいつもやり過ぎてしまっているような作家、役者、映画監督、ロックスター、デザイナーたち。

「私は二一世紀の日本を活性化させるには、…「バサラっぽいもの」「歌舞伎っぽいもの」を溢れ出させること…過剰なものや密度の濃いものやパンクアートや大胆な劇画やアニメのようなものをふんだんに並べてみることがかなり重要なことだろうと思っているからです。」(232ページ)

 世の中、端正な大人しいものだけでは衰退していく他ないわけである。種々雑多な猥雑なものがどうしても必要である。椎名林檎の、ステージとか画面とかの枠の中にいるにも関わらず、枠からこちらに飛び出してきそうなエロティックな挑発、グロでナンセンスで竹久夢二だみたいな美は、これはパンクだ、というべきなのだろう。バサラだ、カブキだと言ってもいい。
 
「それというのも、今日の日本社会はコンプライアンスに惑わされ、監視カメラと賞味期限に縛られ、安心安全なところでしか仕事ができないようにしています。…そこで自粛なのか、自己規制なのかはわかりませんが、多くの現象や表現が衛星無害なものに向かっていて、このままでは和風に整った和霊(にぎたま)はともかく、荒ぶるものまですっかり縮こまってしまっているのです。」(233ページ)

 というようなことで、アマテラスとスサノオだとか、神仏習合だとか、稲作文化とか、世阿弥の花伝書とか、粋といなせとか、経世済民とか、面影とか編集とか、350ページほどの厚めの文庫本に、松岡正剛らしさがたっぷりと詰め込んである。一言では言えないにしても、この本一冊で、そのエッセンスが語られているということになる。
 経産省あたりの、海外への軽薄なニッポン売込みの元ネタ周辺に、松岡氏の言説が利用されていることは恐らく間違いはないが、グローバル市場への媚売りのキャッチコピーとは一線を画した、日本の文化、歴史への、筋を通した深いまなざしは、学ぶべきものである。

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