これも、前に霧笛に載せたエッセイ
「海は広いな大きいな」とか、三好達治の測量船冒頭の「春の岬旅の終りの鴎どり浮きつつ遠くなりにけるかも」とか、ランボーの「永遠…それは太陽と一緒に行ってしまった海」とか、昨年理論社から詩集「ぼくは地球の船長だ」が出版された気仙沼大島出身の児童文学者水上不二の「海の少年」だとか、海についての詩は、それこそ山のようにある。
先日、久しぶりに岩井崎に行った。九月に入ったというのに、三十度を超える暑さであったが、青く晴れ渡った空の下、太平洋に突き出した岬は、ちょうど通り過ぎたばかりの台風の名残の波浪で、潮吹き岩が、勢い良く噴き上げる。 三陸リアス式海岸の国立公園最南端の、波が寄せるたび潮を噴き上げる名勝だが、天候の穏やかな日には勢いがない。この日は、青空と青い海、波の強さ、墳潮の高さと申し分がなかった。
台風が運んだ南方の熱い空気は、湿り気も含んで、街中は秋らしくない蒸した日であったが、ここは、太洋からの風が心地良い。
心が洗われる景観であり、環境である。
岬突端向かって左、気仙沼湾入り口、対岸の大島を見晴らす側は、ごつごつした岩場の中の小さな入り江、子供たちが靴を脱いで波に戯れる磯辺。大学生の我が子も、小学生に交じって童心に帰って、裾をまくり上げ水に入り、遊ぶ。
遠く江戸の方向を指差す第九代横綱秀の山雷五郎銅像の影に腰を下ろすと、芝生の土手に腰を下ろす女性が振り返り挨拶を寄こす。昨年、四十台半ばで夫を亡くしたKさん。と、水辺の小学生のうち、二人は、そのお子たちと見える。じっと、陽射しのなか、その子たちを眺めている。
「岩井崎あるいは春の海」と題して、「芝生に寝そべり/陽射を享け/海を眺め/女が腰をおろし/(略)/女の膝小僧に手を伸ばし胸に手を触れ/―春ノ海ウララウララトタユタヒテ…」(最初の詩集「湾」所収)など、のほほんとこの場所を書いたのは、もう四半世紀前のことで、妻と結婚する前、息子の影も形もこの世に存在しない前のことだ。
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