土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

生駒山東麓、圓福寺は重文宝筺印塔が目立つお寺です。

2011年07月19日 | 奈良の古寺巡り


(2011.07.16 訪問)

竹林寺から西へ五分少々、山麓中腹の高台に圓福寺は在ります。参道石段と寺標
は立派に修復され綺麗なお寺です。残念ながら境内は狭く、本堂のみがお寺の景
観を保っています。

[ 圓福寺 ] えんぷくじ
●山号 龍華山(りゅうかさん)
●寺号 圓福寺(えんぷくじ)
●宗派 真言律宗
●開基 行基
●開創 奈良時代中期
●本尊 阿弥陀如来坐像

圓福寺縁起
行基さん開創と伝えられていますが、創建以来の寺歴は明らかではなく詳細は不
詳。江戸中期に書かれた村史には、真言宗上醍醐報恩院末寺と記載されており、
真言寺院だったようです。

▼寺標。



▼参道石段。



▼本堂(重文)。
本尊 木造十一面観音立像 平安後期造像。
堂形桁行三間、梁間三間、単層入母屋造、向拝一間。本瓦葺和様建築。室町初期
の建立。簡素で小さなお堂です。



▼宝篋印塔(重文)。
塔高2.4mの二基が西向きに並んで建っています。北塔は塔身に種子梵字を刻み、
南塔は塔身に四仏が刻されています。永仁元年(1293年)建立銘があります。
建立時からこの位置にあるそうです。



一見旧村の檀那寺のような感じを受けましたが、留守番のおばさんに聞きますと
檀家、お墓は無いそうで、小さいけれども古刹の風格は残しているような感じの
お寺です。



それでは生駒山中の名刹、慈光寺へ向かいます。暗峠越えの難路に初めて挑戦!
難路といってもたんに狭くて、急で、グニャグニャなだけの道なんですが。

竹林寺は名僧行基が残した四十九院の一つです。

2011年07月19日 | 奈良の古寺巡り


(2011.07.16 訪問)

お寺と仏像ファンの皆さま、日本の、夏の、日中の、狂った暑さに、ご機嫌いか
がでしょうか?
ご機嫌いいはずありませんヨね。なんてアホなアイサツでしょう。
アホさついで、先週に続いて奈良です。生駒山麓有里の行基さん縁のお寺と帰り
に旧奈良街道暗峠越え国道308号沿い大阪側の名刹を訪ねました。
国道163号から168号を南へ第二阪奈をくぐり有里を右折、少々細く入り組んだ
道を上ると町はずれに竹林寺への参道が待っています。

[ 竹林寺 ] ちくりんじ
●山号 生馬山(いこまさん)
●寺号 竹林寺(ちくりんじ)
●宗派 律宗
●開基 行基
●開創 奈良時代初期(710~712年)
●本尊 文殊菩薩騎獅像

竹林寺縁起
寺号は文殊菩の化身と仰がれた行基さんが、文殊霊場中国五台山大聖竹林寺にち
なみ命名しいたと伝えます。
行基さんが建てた四十九院の一つ生馬仙房に比定されていますが詳細は不詳。行
基信仰の最中、西大寺中興の祖叡尊さん、弟子の忍性さんなどが中興、その後荒
廃、明治の廃仏毀釈によって廃寺となり、平成九年(1997年)から境内が整備され
平成十年(1998年)本堂が落慶。唐招提寺の努力で行基さん縁の名刹は復興しまし
た。

▼本堂。 
本尊 文殊菩薩騎獅像。
堂形は宝形造、彩色をしない無垢素地のまま、平成十年(1998年)落慶の本堂です。
木の香漂う堂宇です。



▼本堂扁額。



▼山荘風のおしゃれな庫裡。



▼結界石。



▼行基墓。
境内右手20m位の所に「史跡行基墓」と刻した石碑が建っています。墓域の奥に
こんもりとした低い小山が行基さんのお墓で、ここから鎌倉時代に舎利瓶が出土、
行基さんの伝記と舎利器が出土したと伝えます。まったく閑かでこの小さいお墓
が奈良稀代の名僧行基さんのお墓とは、されどこれこそ名僧といわれる方の奥津
城として相応しいのかも。





▼忍性墓。
本堂左手奥に忍性さんの墓で新しい五輪塔があります。実の墓は少し離れたとこ
ろに基壇がのこり、残欠石が残っています。忍性さんは鎌倉期、師の叡尊さんと
共に貧病者救済や社会事業に功のあった名僧として名が残っている方で、行基さ
んを慕い、この地に墓をと望んだと云われているそうです。



▼本堂。



行基さん終焉の地としての竹林寺は、決して広くない境内に本堂と庫裡のみのこ
ぢまりとした新しいお寺ですが、名僧の名と共に廃れて欲しくないお寺の一つで
す。
実はこの文章書いている今、台風6号が近畿へ接近しています。風雨強くなってき
ました。皆様どうぞご注意の上にもご注意を!
ここから僅かのところ、圓福寺に向かいます。