土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

根来寺は紀州の大寺。強力な僧兵がいたそうですよ。

2011年07月25日 | 和歌山の古寺巡り


(2011.07.23訪問)

人がいない夏のアツーイ時こそお寺拝観のチャンス!とばかりに和歌山の大寺を
訪ねました。ほんまガラガラ、僅かに観光バスが一台、若い添乗のお兄さんが汗
タラタラで昔の娘さんと今のジィジィ(ジジィと云ってません)十数人の団体を
ダラダラ引き連れて大塔エリアから出てきました。入れ替わり入ったのは云うま
でもありません。あの広いエリアにもう一人ラッキーな方がいました。
お堂内出入りフリー、太っ腹ですわ根来寺は。といってもこのお寺は悲しい過去
の出来事があるのです。

▼大門の山号偏額。院号ではなくて根来山と揮毫されています。



▼寺標。



[ 根来寺 ] ねごろじ
●山号 一乗山(いちじょうさん)
●院号 大伝法院(だいでんぽういん)
●寺号 根来寺(ねごろじ)
●宗派 新義真言宗総本山
●開山 興教大師覚鑁(かくばん)上人
●開創 1130年
●本尊 大日如来坐像

根来寺縁起
覚鑁上人は20歳で高野山に登り、真言密教の復興に努力。伝法院密厳院を高野山
上に建立。、覚鑁上人を筆頭とする大伝法院は大いに隆盛。しかし覚鑁一門の寺
院が高野山内の反対勢力により焼き討ち、保延六年(1140年)根来に移る。伝法院
荘園の豊福寺に拠点を移し、新たに円明寺を建て豊福寺、円明寺を中心として寺
院が建てられ、一山総称としての根来寺が形成されました。
戦国時代、強大な寺社勢力を危惧した豊臣秀吉は天正13年(1585年)根来に攻め入
り、大塔、大師堂などの2~3の堂塔を残して全山焼き払い壊滅。その後紀州徳川
家の庇護を受け、主要な伽藍が復興、今の根来寺があります。
(根来寺HPから抜粋)

▼大門。
高さ16.88m、幅17.63m、奥行6m。現在の大門は1850年再建。
左右に阿吽金剛力士が控える堂々の山門です。豊臣秀吉の根来攻めの兵火を免れ
ましたが、大和郡山に運ばれ、その後は明らかではないそうです。
往時の境内はよほど広かったのでしょう、主要伽藍のあるところからはかなり離
れたところにポツンと建っています。



▼大門金剛力士阿形像。



▼大門金剛力士吽形像。



▼大師堂(重文)。
本尊 弘法大師空海上人像。1391年建立。



▼大塔(国宝)。
多宝塔は大日如来のシンボル。木造多宝塔では日本一の大きさを誇っている。
1496年建立。高さ40m、横幅15m。

 

▼大塔須弥壇の仏像。



▼大塔内部。円形に区切られた内陣壁、わかります?



▼大塔。



▼手水鉢。



▼大伝法堂。1827年建立。根来寺の本堂。



▼本尊三尊(重文)。大日如来坐像、金剛薩埵菩薩坐像、尊勝仏頂尊坐像は宗祖覚鑁
上人開山以来の新義真言宗の根本尊像。

 

▼大伝法堂本尊 大日如来坐像。



▼大伝法堂本尊 金剛薩陲菩薩坐像。



▼大伝法堂本尊 尊勝仏頂尊坐像。



▼大伝法堂天井画。



▼大伝法堂。



▼奥の院覚鑁上人廟参道。





▼奥の院覚鑁上人廟。
根来寺開山興教大師覚鑁上人の御廟所。康治二年(1143年)寂。



▼光明殿参道。



▼光明殿参道鐘楼門。



▼光明殿。正式名称常光明真言殿。



▼光明真言殿須弥壇。
本尊 興教大師覚鑁上人像。



▼本坊庭園(国指定名勝)。



▼行者堂。
本尊 役行者。真言密教修法のための行堂。



▼行者堂本尊役行者。



▼聖天堂。
聖天池に浮かぶお堂。聖天像を安置。根来塗の修法壇が伝わるそうです。



▼聖天池。





▼九社明神。



▼九社明神。根来寺の鎮守社。
丹生大明神、高野大明神、伊太祁曽大明神、御船三所大明神、金折六所大明神、
金峯山金剛蔵王、熊野三所権現、白山妙理権現、牛頭天王八王子を祀っています。
これだけの神様、もめることは無いのでしょうか。



▼九社明神参道。
社の榊替えと掃除をされていた僧侶が戻ってゆかれました。後ろ姿が清々しいと
思いません?



▼根来塗発祥地碑。
根来寺で僧侶が什器として使用するため作ってしていた漆器。江戸時代には根来、
根来ものとして珍重されたそうです。



▼蓮池の蓮。合掌。



根来寺は、戦国時代の僧兵大将杉乃坊こと、津田監物の住坊も残り、強力な僧兵
を持ち、一種の城郭構えであったと云います。周囲を山に囲まれたこの地に立っ
てみると秀吉も相当苦労したのではないかと想像してしまいます。

根来寺オ シ マ イ ! 
それではお隣紀の川市の大寺、粉河寺へ レ ッ ツ ゴ ー !