
(2011.07.23訪問)
根来寺の大門の横を通り県道7号線へ、粉川寺は真っ直ぐ東です。
さすが西国三十三所観音霊場第三番札所の粉河寺は、暑さにめげない頑丈な方々
のお遍路装束が目立っています。このお寺も例にもれず、豊臣秀吉の紀州攻めで、
七堂伽藍、数百坊の広大な寺域が全山壊滅。江戸中期に復興、ほぼ現在の姿にな
ったと云います。それにしても堂宇伽藍の多さは並ではありません。大したもの
です。
▼寺標。

[ 粉河寺 ] こかわでら
●山号 風猛山(ふうもうざん)
●寺号 粉河寺(こかわでら)
●宗派 粉河観音宗総本山(天台宗系)
●開基 大伴孔子古(おおとものくじこ)
●開創 宝亀元年山(770年)
●本尊 千手千眼観音菩薩(秘仏)
粉河寺縁起
宝亀元年(770年)、猟師大伴孔子古が山中で霊光が発するのを見た。ここが霊地と
考え、草庵を建てた。この草庵に童男大士が訪れ、七日間堂に籠もって仏像を刻
み、これを本尊にするように孔子古に与えた。翌日、童男大士が去ると、仏像は
金の観世音菩薩になったという。孔子古は童男大士こそ観世音菩薩の化身と考え、
以後猟師をやめ供養礼拝したといわれ、これが粉河寺の創始と伝えられています。
▼大門(重文)。

▼大門の寺名扁額。

▼童男堂。
本尊 童男大士。千手観音が本地仏。

▼童男大士石像。
童男堂横の出現池の小さな祠に童男大士の石像。
本尊千手観音の化身といわれる童男大士がこの池から出現したと云われています。

▼念仏堂。
本尊 阿弥陀如来。総欅造、江戸後期の建立。

▼阿弥陀如来露座像。
鋳銅造、像高144cm、造像文久二年(1862年)。阿弥陀定印ではなく右手施無畏印、
左手与願印を結んでいます。

▼太子堂。
聖徳太子をお祀りしています。

▼手水舎。
手水水盤は粉河鋳物の名作と云われているそうです。

▼中門(重文)。堂々の三間八脚楼門。

▼中門扁額。紀州徳川十代藩主治宝のダイナミックな揮毫。

中門の前後を四天王が守護する例は珍しいのでは。ネット越にしか見れませんが、
正面二像と後面二像を比較すると明らかな差があるようで仏師グループや造像年
代差が感じられます。
▼正面左、多聞天

▼正面右、広目天

▼後面左、増長天

▼後面右、時国天

▼中門から本堂エリアへの参道。

▼中門横に若山牧水の歌碑。
粉河寺 遍路の衆の 打ち鳴らす 鉦々きこゆ 秋の樹の間に

▼本堂中央石段両脇に石組みの庭園。本堂前景として作庭された国指定名勝。初
めて見たとき石垣が崩れているのかと思いました。

▼本堂(重文)。
本尊 千手千眼観音菩薩(秘仏)
実に堂々の堂宇、西国三十三所観音霊場札所の中で最大を誇り非常に複雑な構造
をしています。

▼本堂正面外廊。

▼なんと賑やかな奉納額の数々と天井の千社札。

▼本堂側面から見ると複雑な建築がよく判ります。
高さの違う入母屋屋根を前後に千鳥破風を付け、唐破風造の向拝を付ける構成。
礼堂 入母屋造単層、本瓦葺き。正面9間、側面4間、前半2間分を吹き放しになっ
ている。
正堂 入母屋造重層、本瓦葺き。正面7間、側面6間、前方2間分は礼堂に組み込ま
れている。

▼千手堂(重文)。
本尊 千手観音菩薩。
宝形造、本瓦葺き。本堂横に建つ小さなお堂。正面に一間の向拝付き。
宝暦十年(1760年)建立。

▼丈六堂。
像高一丈六尺(丈六)の本尊を祀っています。

▼丈六堂本尊阿弥陀如来坐像。

▼六角堂。

▼鐘楼。一撞き50円、安いか高いかあなた次第。

▼踞木地(きょぼくち)大楠。
幹周8m、樹高31m、樹齢不明。
当時猟師であった大伴孔子古が踞り、下を通る鹿を狙った故事があります。左側
に踞木地の石碑が建っているの見えます?

▼薬師堂。
本尊 薬師如来。

▼地蔵菩薩石像。
像高210cm、砂岩に彫られています。永禄七年(1564年)造像。

▼行者堂への参道。

▼行者堂。役行者をお祀りしています。このお寺の一番の高台に在ります。

▼本殿後ろの高台に鎮まっている粉河寺の鎮守社。

▼産土神社拝殿。

▼産土神社本殿。

粉河寺の本尊千手千眼観音菩薩は絶対秘仏。本堂下に埋められているらしく誰も
見たことがなく、秘仏に代わる御前立像も秘仏で寺僧しか拝めないそうです。巡
礼の方々は何を依りどころにお参りされているのでしょう。ボクのあさはかな疑
問です。