(2011.07.16 訪問)
圓福寺から国道168号に戻り、国道308号に向かいます。いよいよ初めて走る暗
峠越えの道です。途中石仏寺を訪ねる予定でしたが駐車スペース見つけれずパス。
道は噂に違わず狭くて、急で、グニャグニャ。向こうからクルマが来るとどうし
ようもない所だらけ。にも拘らず暗峠着。対向車には結局会いませんでした。写
真でよくお目にかかる石畳の道、炎天下静かなものです。
▼峠名を刻した碑。
暗峠標高455m、暗越奈良街道は、大阪と奈良間を最短距離でつなぐ街道。奈良時
代以前から利用されてきた古道のひとつだそうです。
▼奈良側から見た峠。
▼大阪側から見た峠。
▼国道308号、旧奈良街道暗越えの今。
暗峠から大阪方面に少し下ると、右慈光寺のサインがあり山道を行くこと10分、
生駒山中の名刹に着きました。閑かです、人の姿も見えません。
[ 慈光寺 ] じこうじ
●山号 髪切山(こぎりさん)
●寺号 慈光寺(じこうじ)
●宗派 真言毘盧遮那宗
●開基 役行者
●開創 天智天皇治世(660~670年)
●本尊 大日如来坐像
慈光寺縁起
創建は、約1300年前役行者の開基と伝えます。役行者がこの地で修行中、この山
中に鬼夫婦が住み、暴れ放題だったので、役行者は彼らを不動明王の秘法で捕ら
え、諭しその髪を切り弟子とし、慈光寺建立の使役とされた。行者は慈光寺建立
の後も彼等を、義学(前鬼)、義賢(後鬼)名づけて同道を許した。その由緒で髪切
山と号し、修験道の道場とした。(慈光寺パンフより抜粋)
弘仁年間(810~824)空海さんが当寺に巡錫し、興廃した堂宇を修築、真言宗に
改めた。その後再三の兵火を被り伽藍は消滅。江戸初期亮海が再興。昭和22年
(1947年)真言毘盧遮那宗に改宗。
▼参道からの山門と鐘楼。
▼山門。
▼寺名石標。
▼山門札には役行者旧跡髪切山慈光寺と彫られています。
▼鐘楼。
梵鐘は鎌倉時代正応二年(1289年)鋳造。東大阪市では最も古い梵鐘とのことです。
▼山門からスグ右手、参道石段。上った平地が中心境内になっています。
▼開山堂。
本尊 千手観音菩薩像。
正面三間、宝形造り向拝付き小振りなお堂です。役行者三十六歳像をお祀りして
いるそうで、春の(戸開式)と秋の(戸閉式)に開山堂が開けられ、本尊が開帳され
るそうです。この日、正面扉は施錠されていましたが、側面扉が開けられており
半身のり出して中を窺いましたが結局暗さに負けました。
▼開山堂偏額。
▼開山堂右軒に役行者の菩薩号、南無神変大菩薩の偏額。
▼中心境内。右開山堂、奥本堂。
▼護摩壇と不動明王石像。
▼本堂。
本尊 大日如来坐像。
▼十三板石仏。
▼野鳥塚。
この辺りは古くからホトトギスの名所として知られているそうですが、この日は
聞くことはありませんでした。境内は府の名勝に指定されています。
▼影。
役行者や空海さんの伝承が今も生きているこの生駒山中に法灯を守る名刹。けっ
して広くはなく、残る堂宇も数少ないですが、密教や修験道の香りプンプンの魅
力的なお寺です。
しかし名勝の地のホトトギスの声聞きたかったですワ。鳥も暑いのでしょうネ。
堂々の暗越え オ シ マ イ !