
(2017.04.05訪問)
あいぜんさんじゃ~ホッエッカッゴ~! 宝恵かごの掛け声です。色街の綺麗どころやベッピンおねーさんが乗る宝恵かごパレード、
大阪三大夏祭りの一つ愛染祭りのクライマックスです。この祭りは四天王寺の境外塔頭、勝鬘院愛染堂の夏祭りなんです。祭りのと
き谷町筋の華やぎはひと、人、ヒトで凄いんですが、今の時期はクルマの騒音だけ、谷町筋から一歩入るだけで人の気配やクルマの
喧噪はありません。お使い帰りの道すがら勝鬘院愛染堂を訪ねてみました。
注、現在、宝恵かごに乗るのは選ばれた愛染娘たちです。以前は北新地や今里新地の芸妓さんたちでした。
▼このノッポビルの36階へお使いに行った帰り、谷町筋をフラフラ歩いていたと思って下さい。
四天王寺西門を過ぎて少し行くと勝鬘院の案内があったと思って下さい。
細~い細い道に山門があったと思って下さい。

[ 勝鬘院 ]
●山号 荒陵山 (こうりょうざん)
●寺号 勝鬘院 (しょうまんいん) 通称 愛染堂 四天王寺の塔頭寺院
●宗派 和宗 (わしゅう)
●開基 聖徳太子(しょうとくたいし)
●創建 伝推古元年 (593年)
●本尊 愛染明王
▲大阪府大阪市天王寺区夕陽丘町5-36 Tel. 06-6779-5800
▲拝観料 境内自由 御朱印300円
▲時間 9:00~16:30
▲地下鉄谷町線「四天王寺前夕陽ヶ丘駅」5番出口から徒歩2~3分
JR天王寺駅から谷町筋を北へ徒歩15分
▼その山門です。

勝鬘院縁起 (勝鬘院HPから抄出)
推古天皇元年、聖徳太子は、敬田院、施薬院、療病院、悲田院からなる四天王寺を建立されました。その中の施薬院は、あらゆる薬
草を植え、病に応じてあまねく人々に与えられるようにと現在の愛染堂の場所に建立されたのです。当時の面積は現在より一層広大
であり、また建立の意味あいからいうと、我が国の社会福祉事業発祥の地とも言えます。施薬院が勝鬘院と呼ばれるようになったの
は、このお寺で聖徳太子が勝鬘経というお経を人々に講ぜられていたため、そして勝鬘経に登場する勝鬘夫人の仏像が本堂に祀られ
ているため、後にこう呼ばれるようになりました。
▼扁額には山号荒陵山と彫られています。

▼山門横には色付き石標が建ってます。○□明王、どう見ても愛染明王とは読めません。

▼短いですが参道です。

▼赤門 (薬医門) 。

▼赤門を潜ると正面金堂です。一本きりの桜がほぼ満開です。

▼愛染の霊水。女性の方、愛嬌と恋愛成就が授かるそうですよ。

▼桜越しの赤門。

▼満開でもないのかナ。上の方はまだみたいですネ。

▼桜シャワーのつもり。

▼樹齢数百年の桂の木、曖昧な年数ですがこの大木にノウゼンカズラが巻きついていて不気味ですね。

▼魚藍観音。お魚を美味しく戴いている日頃の報恩感謝で魚籃観音さんにお参りしましょう。

▼屋根と桜。

▼金堂。本尊愛染明王 (秘仏)
桁裄五間、梁間四間、入母屋造。本瓦葺。推古天皇元年建立。織田信長大阪石山寺攻めの兵火で焼失、徳川秀忠再建。

▼金堂前面。

▼内陣。本尊愛染明王と十一面観音、勝鬘夫人像が祀られています。

▼内陣の大きな扁額。

▼本尊愛染明王 (秘仏)。年二回公開、正月七日間と夏の愛染祭りの三日間 (写真はネットから)

▼金堂の壁に掛けられた献灯。近松門左衛門や井原西鶴のお話にも描かれている由緒あるものらしいです。

▼金堂前左に慈母観音。

▼右に慈父地蔵。

▼多宝塔 (重文)。大阪最古の木造建造物。推古天皇元年建立。
信長の大阪石山寺攻めで焼失、慶長二年秀吉により再建。
本尊大日大勝金剛尊像。極彩色で描かれた十二天の壁画と柱絵が奉安されているそうです。

▼初層四面の蛙股に十二支が彫刻されてます。正面真ん中、午(ウマ)

▼多宝塔。

▼多宝塔相輪。

▼多宝塔下にヒッソリと。

▼天王寺七坂の一つ、愛染坂が山門前から西に下っています。今しがたチャリンコ坊さんが下って行きました。

▼ご朱印です。

小さな境内に、お堂や塔、お社に石像、石仏が所狭しと配された境内有効利用満点のお寺です。大大阪のど真ん中、本山四天王寺は
お参りの人が絶えることはないんですが、ここは静かなお寺、しかし愛染祭りの頃には一変するんです。開基の聖徳太子もこれには
ビックリするんじゃないでしょうか。
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