(2017.04.08訪問)
霊鑑寺から歩いて2~3分、距離にして150mぐらいに、やはり通常は非公開寺院の安楽寺が山門を開いています。
このお寺、若い二人の姫とその出家を助けた二人の僧の哀れで悲しい運命の冥福を祈るため、二僧の師法然上人が復興したお寺安楽寺。
謂れも哀しく、そぼ降る雨に気持ちも幾分暗いまま山門を潜りました。
▼安楽寺石柱。安楽寺の寺号はなぜかこの背面に刻されています。
[ 安楽寺 ]
●山号 住蓮山 (じゅうれんざん)
●寺号 安楽寺 (あんらくじ) 愛称 松虫鈴虫寺
●宗派 浄土宗 (じょうどしゅう)
●開基 住蓮上人 安楽上人 (じゅうれんしょうにん、あんらくしょうにん)
●開山 法然上人 (ほうねんしょうにん)
●創建 建永元年 (1206年)
●本尊 阿弥陀三尊
▲京都市左京区鹿ヶ谷御所の段町21 Tel. 075-771-5360
▲拝観料 500円 御朱印300円
▲通常非公開寺院 年二回春と秋公開
▲時間 09:30~16:30
▲http://anrakuji-kyoto.com/
▲JR・近鉄「京都駅」より市バス「錦林車庫」行きで「錦林車庫前」下車、東へ徒歩10分
JR・近鉄「京都駅」より市バス「銀閣寺前」行きで「宮ノ前町」下車、東へ徒歩10分
地下鉄烏丸線「今出川駅」より市バス「錦林車庫行き」で「錦林車庫前」下車、東へ徒歩10分
▼この参道も優しい石段です。
安楽寺縁起 (KYOTOdesignHPから抄出)
鎌倉時代はじめ、法然上人の弟子住蓮上人、安楽上人が念仏道場「鹿ヶ谷草庵」を建てたのに始まる。当時、後鳥羽上皇の女官、
十九歳の松虫姫と十七歳の鈴虫姫は、両上人から念仏の教えに感銘し出家。上皇は激怒し、念仏教団に弾圧を加え二僧は斬首。
法然上人は讃岐へ、親鸞聖人は越後へ流刑に。その後、両姫は瀬戸内海の小島で生涯を終えました。両上人亡き後「鹿ヶ谷草庵」
は荒廃したが、流罪地から帰京された法然上人が両上人を弔うため草庵を復興「住蓮山安楽寺」と名づけました。
▼茅葺きの名物山門です。明治二十五年 (1892年) 建立。
▼山門から境内。
▼本堂へのアプローチ。左手にお庭が広がっています。
▼大きな枝垂が満開になってきました。
▼枝垂の下は丸い刈り込み。五月から六月にかけて、さつき、つつじの花盛りだそうですよ。
▼くさの地蔵が祀られる地蔵堂。平成二十四年 (2012年) 再建。
▼縁塚。共同墓地らしいのですが詳細不明、聞き漏らしました。
▼手水舎です。
▼仏足石。彫りっぱなしではなくちゃんと色付きです。
▼本堂の屋根を添えて枝垂の一枚。
▼本堂参道。左右にはお庭が広がってます。
▼本堂です。三間四方の宝形造、本瓦葺。一間向拝付。二層に見えますが下屋根は裳階。
▼本堂前面に何か設えが……、
▼今日は花祭り、お釈迦さんの誕生日です。ボクも甘茶をかけさせてもらいました。
▼本堂内陣。
▼本尊阿弥陀三尊。中尊阿弥陀如来坐像、右に観音菩薩立像、左に勢至菩薩立像。
観音勢至の両菩薩は佇立せず、やや前屈みでまさに一歩を踏み出す体勢をおとりです。
▼中尊阿弥陀さん、雲相華の舟形に二重円光背を背負い蓮華座に趺坐する豪華な像形です。
▼半眼瞑想のお顔なんですが、どこから見ても目が合うのが不思議です。
▼龍樹菩薩立像。龍樹さんがなぜここにおられるのか不明ですが、
現代仏師の作でしょう、出来立てホヤホヤと云ったら龍樹さんに失礼かな、
とにかくきれいな龍樹さんです。
▼左脇殿に法然上人坐像。法然上人の書簡などで作られた上人七十四歳の姿「法然上人張子像」です。
▼さらに右脇殿に住蓮、安楽両上人、松虫、鈴虫両姫の座像が祀られています。
▼流麗な本堂屋根。
▼本堂と書院を繋ぐ渡り廊下。
▼中庭を挟んで書院。
▼中庭の苔むす蹲踞。
▼書院のお部屋から額縁庭園を。
▼さつき、つつじの丸い刈り込み、期待出来そうですネ。
▼額縁庭園におネーサンがひとり。
▼さつき、つつじを愛してやまない方、訪ねない訳にはイカンでしょう。
▼お留守でした。
▼境内南端に開基の右住蓮上人と左安楽上人の供養塔が並んでいます。
▼両上人供養塔の東の高台に松虫姫、鈴虫姫の供養塔が仲良く並んでいます。
▼ご朱印です。
暗~いお話が伝わるお寺も、今はそんな感じは受けません。一本枝垂が今盛り、無彩のお庭にピンクの枝が揺れながら春盛りを主
張しているようです。ところで今日はお釈迦さんの誕生日、花祭り灌仏会ですネ。初めて甘茶なるものを釈迦さんにかけました。
甘茶と花祭り何か謂れがありそうで、一度検索してみようかな。
甘茶を飲み損なった、安楽寺オ シ マ イ
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