土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

竹林寺は名僧行基が残した四十九院の一つです。

2011年07月19日 | 奈良の古寺巡り


(2011.07.16 訪問)

お寺と仏像ファンの皆さま、日本の、夏の、日中の、狂った暑さに、ご機嫌いか
がでしょうか?
ご機嫌いいはずありませんヨね。なんてアホなアイサツでしょう。
アホさついで、先週に続いて奈良です。生駒山麓有里の行基さん縁のお寺と帰り
に旧奈良街道暗峠越え国道308号沿い大阪側の名刹を訪ねました。
国道163号から168号を南へ第二阪奈をくぐり有里を右折、少々細く入り組んだ
道を上ると町はずれに竹林寺への参道が待っています。

[ 竹林寺 ] ちくりんじ
●山号 生馬山(いこまさん)
●寺号 竹林寺(ちくりんじ)
●宗派 律宗
●開基 行基
●開創 奈良時代初期(710~712年)
●本尊 文殊菩薩騎獅像

竹林寺縁起
寺号は文殊菩の化身と仰がれた行基さんが、文殊霊場中国五台山大聖竹林寺にち
なみ命名しいたと伝えます。
行基さんが建てた四十九院の一つ生馬仙房に比定されていますが詳細は不詳。行
基信仰の最中、西大寺中興の祖叡尊さん、弟子の忍性さんなどが中興、その後荒
廃、明治の廃仏毀釈によって廃寺となり、平成九年(1997年)から境内が整備され
平成十年(1998年)本堂が落慶。唐招提寺の努力で行基さん縁の名刹は復興しまし
た。

▼本堂。 
本尊 文殊菩薩騎獅像。
堂形は宝形造、彩色をしない無垢素地のまま、平成十年(1998年)落慶の本堂です。
木の香漂う堂宇です。



▼本堂扁額。



▼山荘風のおしゃれな庫裡。



▼結界石。



▼行基墓。
境内右手20m位の所に「史跡行基墓」と刻した石碑が建っています。墓域の奥に
こんもりとした低い小山が行基さんのお墓で、ここから鎌倉時代に舎利瓶が出土、
行基さんの伝記と舎利器が出土したと伝えます。まったく閑かでこの小さいお墓
が奈良稀代の名僧行基さんのお墓とは、されどこれこそ名僧といわれる方の奥津
城として相応しいのかも。





▼忍性墓。
本堂左手奥に忍性さんの墓で新しい五輪塔があります。実の墓は少し離れたとこ
ろに基壇がのこり、残欠石が残っています。忍性さんは鎌倉期、師の叡尊さんと
共に貧病者救済や社会事業に功のあった名僧として名が残っている方で、行基さ
んを慕い、この地に墓をと望んだと云われているそうです。



▼本堂。



行基さん終焉の地としての竹林寺は、決して広くない境内に本堂と庫裡のみのこ
ぢまりとした新しいお寺ですが、名僧の名と共に廃れて欲しくないお寺の一つで
す。
実はこの文章書いている今、台風6号が近畿へ接近しています。風雨強くなってき
ました。皆様どうぞご注意の上にもご注意を!
ここから僅かのところ、圓福寺に向かいます。

奈良三名椿、散り椿の伝香寺です。

2011年07月14日 | 奈良の古寺巡り


(2011.07.09 訪問)

▼やすらぎの道沿いの表門。



浄教寺を辞してやすらぎの道に戻り南へ、途中卒川神社には横目でチラッと御挨
拶、拝観はパスです。少し行くと道沿いに表門、しかしここからは入れません。
手前に中門拝観受付があり親切なお寺のおじさんが早速地蔵堂へ案内してくださ
り、「伝香寺は大和地蔵十福霊場の一つ、御朱印巡拝してみなはれ」と勧められ
ました。

[ 伝香寺 ] でんこうじ
●寺号 伝香寺(でんこうじ)
●宗派 律宗
●開基 思託律師(鑑真大和上の高弟)
●開創 宝亀年間(770~780年)
●中興 芳秀尼(ほうしゅんに)
●本尊 釈迦如来坐像

伝香寺縁起
唐招提寺創建の鑑真大和上の高弟、思詫律師が、天平宝亀年間(770~780)に、
唐風の庵を結び実円寺と称されていた。その後八百余年後天正十三年(1585)、
戦国大名筒井順慶の母堂芳秀尼が息子の菩提を弔うため寺院の建立を発願、唐招
提寺泉奘を請じて実円寺を再興し伝香寺と号したといいます。

▼表門。



▼本堂(重文) 。
本尊釈迦如来坐像が祀られています。
三間四方向拝付き本瓦葺き。桃山時代1587年の建築。



▼地蔵堂。



▼地蔵菩薩立像(重文) 。
像高98cm 裸形像。1228年頃の造像。
はだか地蔵尊として、親しまれているおじぞうさん。もともと興福寺延寿院の本
尊で伝香寺への客仏。
法衣を刻していない全くの裸形像ですが普段は鮮やかな朱の法衣と黄の袈裟を着
けられて地蔵堂に立たれています。毎年7月23日御更衣法要には、この法衣を取
り替えるそうです。



▼お顔。
どうですこのお顔、涼やかな中にもキリリとした表情、これは人気がでますワ。



▼由留木地蔵尊。



▼筒井氏供養五輪塔。
伝香寺は筒井順慶菩提所で供養塔横に順慶堂が建てられています。



▼散り椿。
奈良の三名椿「伝香寺の散り椿」「東大寺の糊こぼし」「白毫寺の五色椿」の一
つ。この椿は色まだ盛んなとき花びらが散る椿で、その潔さが「もののふ椿」と
いう別名があります。芳秀尼が植えたと云うこの椿、今のは三代目と四代目らし
いです。
反省!説明板写真だけのオソマツ。花のお寺は花の旬に訪ねるべし、かな。
しかし人多いしなァ。



▼参拝の栞。
小粒ながらピリッとしたいい栞をいただきました。



お寺のおじさんに頂いた「大和地蔵十福霊場」パンフを拝見しますと十福霊場中
九霊場は既に訪ねており、この伝香寺が丁度ラスト霊場でした。しかし「大和地
蔵十福霊場」なるものあること全く知りませんでした。恥不明。されど偶然にし
てもメデタシメデタシ。この日はあと三ヵ寺訪ねるプランでしたが、このお寺で
ギブアップ!東向き商店街のいつものコーヒーショップでしばらく寝てました。
反省!何はともあれギンギラギンの太陽と喧嘩をしても勝てません。外出はしな
い方がヨロシイ!もちろんお寺巡りも。

●みなさま熱中症にご注意! 
●お歳の方ご自愛のほど! 
●クーラーがんがんの部屋でゆっくりと! 
●節電?体の方が大事!

蘇鉄の名刹、浄教寺。

2011年07月13日 | 奈良の古寺巡り


(2011.07.09 訪問)

称名寺からやすらぎの道を南へトボトボ。相変わらず太陽はこれでもかと光と熱
を容赦なく浴びせまくりです。大宮通を渡るとすぐ右に我国饅頭発祥の祖神、漢
國神社が在りますが、今日はパス。少し行くと三条通、右に曲がるとスグ浄教寺
です。念のため左に行くと猿沢の池、興福寺を経て春日大社一の大鳥居。言わば
古都のメインストリート。

[ 浄教寺 ] じょうきょうじ
●山号 九条山(くじょうさん)
●寺号 浄教寺(じょうきょうじ)
●宗派 浄土真宗本願寺派
●開基 行延法師(親鸞聖人の直弟子)
●開創 寛元二年(1244年)
●本尊 阿弥陀如来立像(重文) 

浄教寺縁起
開基は行延法師、元は武士でしたが、淨土真宗開祖親鸞聖人の直弟子となって、
1244年(寛元二年)三月出家し浄教寺を開創。第六世円誓の養子空信法師の時、
南朝後醍醐天皇の勅願所になる。享禄三年(1530年)大和郡山へ移り、石山合
戦の功により本願寺の顕如から淨教寺号を裁可される。慶長八年(1603年)た
ぬき、じゃなかった家康から現在地を与えられる。

▼寺名石標。



▼山門。



▼山門両扉に見事な透かし彫り。国の登録文化財指定を受けてるそうです。



▼境内。左に見えるのは枝垂れ桜。時期にはそうとうの人出になるそうです。



▼本堂。



▼本堂偏額。



▼本堂前の蘇鉄の巨木。
樹高約5.5m、根株周囲6.5mで、根株から25本の幹が出ている珍しいもの、江戸
初期現在地に移った時植えられたものといいます。



▼蘇鉄の根元に潜り込む。まるでジャングル。



▼鐘楼。



▼仏足石。
ブッダガヤの菩提樹のそばにある仏足石の模刻だそうです。



▼本堂床下に古瓦が色々。



蘇鉄の植わっているお寺がよく在りますが、このお寺の蘇鉄はとにかく大きく別
格です。
大きな蘇鉄に潜り、思いきりフィトンを吸い込み正気に戻ったところで、季節外
れの伝香寺に向かうことにいたしましょう。

突然ですが、12日の虹!!


称名寺はわび茶の祖、村田珠光ゆかりのお寺です。

2011年07月12日 | 奈良の古寺巡り


(2011.07.09 訪問)

蓮長寺から北東約十分、茶祖村田珠光縁の称名寺は在ります。やすらぎの道には
立派な石標が建てられています。



[ 称名寺 ] しょうみょうじ
●山号 日輪山(にちりんさん)
●院号 大雄院(だいゆういん)      
●寺号 称名寺(しょうみょうじ)
●宗派 西山浄土宗
●開基 興福寺の学僧専英、琳英が常行念仏の道場を建立。
●開創 文永二年(1265年)
●本尊 木造阿弥陀如来坐像、釈迦如来坐像、弥陀如来坐像像の三尊形式。平安
時代造像。  

称名寺縁起
1265年興福寺僧専英、琳英が京都三鈷寺の澄忍とともに常行念仏の道場として開
創。当初は興福寺の北に位置するので興北寺と呼ばれていたそうです。お寺は数
度の被災で、江戸後期1802年本堂と茶室が再建され今日に至っています。

▼寺標。



▼山門。



▼村田珠光旧蹟碑。
わび茶の開祖、村田珠光(1423~1502年)が十一歳の時称名寺に入り出家したも
のの二十歳の頃破門され還俗したと伝えます。まさかそれだけのことで旧蹟碑は
建てないでしょうネ。珠光についてはわび茶道をいつはじめたのか不詳の部分が
多く、後年お寺に戻り独爐庵という茶室を建てたと伝えますが今の茶室は江戸後
期の建築。その後、珠光から武野紹鴎へ、紹鴎から千利休へと伝わるわび茶の精
神は皆さんの知るところですね。



▼本堂。
江戸後期享和2年(1802年)の建立。
本尊木造阿弥陀如来三尊(重文)。
毎年5月15日の珠光忌以外は本堂、茶室の扉は閉ざされています。



▼本堂扁額。



▼本堂前の蘇鉄。



▼本堂横の十三重石塔と宝篋印塔。



▼石仏三体地蔵尊。



▼千体石仏群。
境内東に1900体の地蔵石仏や板名号、墓石が整然と並べられています。壮観です。
奈良の敵、松永弾正が多聞城築城の際、近隣諸寺の石仏を片っ端から強奪、その
石垣に用いたもので、多聞城解体後、時の住職が集めこの地に祀ったといいます。
それにしても松永弾正バチアタリな人物だったようで。







▼遙拝石?



決して広くはない境内ですが千体石仏群は実に壮観です。一見の価値大いにアリ
ですよ。炎天下暑気払いにお地蔵さんのお顔をしみじみ眺めてみるのも一興かと。
熱中症にはくれぐれもご注意を!



それでは、やすらぎの道を南へ、浄教寺から伝香寺へ向かいます。

天女、宙を舞う。蓮長寺。

2011年07月12日 | 奈良の古寺巡り


(2011.07.09 訪問)

▼今丁度正午、近鉄奈良駅前から東を見ています。



見てくださいこの天気、近畿はきのう八日、梅雨明け宣言です。
どうですこのグッドなお天気、シャープな青空、ピュアな空気……。
なんてとんでもありません。
お寺巡りてなものではなく焦熱地獄巡りですワ。兎に角アツー、アツー以外に言
葉が出ません。汗はやたら出ますが。古都奈良の大宮通、歩いている方はほとん
どいません。しかしボクは今、大宮通を西へ地獄巡りじゃなかった今日のお寺巡
り第一弾、蓮長寺を目指してヨタヨタと。

[ 蓮長寺 ] れんちょうじ
●山号 光映山(こうえいさん)
●寺号 蓮長寺(れんちょうじ)
●宗派 日蓮宗
●開基 不詳
●開創 奈良時代。一説に奈良時代に創建された喜見城院が前身。
●中興 日蓮聖人。日蓮宗改宗1468年.
●本尊 十界曼荼羅

蓮長寺縁起
開基開創は不詳ですが、奈良時代後半に創建された「喜見城院」というお寺が前
身寺院とされ、その後、鎌倉時代日蓮聖人が南都遊学時この寺に滞在された事、
日蓮さんの旧名「蓮長」から江戸初期に「蓮長寺」となったそうです。
応仁2年(1468)日蓮宗に改宗。

▼参道。大宮通北側に参道は面しています。



▼寺名石標。
「日蓮大聖人南都御遊学寄寓之旧蹟」と刻されています。



▼山門。
再築されたらしく新しい表門です。
山門を入ると奈良市の中心部に在りながら町の喧騒はありません。



▼鐘楼。
山門を入るとスグ右手、山門よりもすこし新しい建物のようです。



▼本堂(重文)。
日蓮宗本堂の典型と云われるだけに、まさに堂々とした佇まいを見せています。
この写真では判りませんね、ドーもスンマセン。
入母屋造本瓦葺。江戸期1653年再建。
日蓮宗本堂特有の外陣には仕切がなく、正面階段を上がると無扉でスグ外陣。



▼本堂外陣の天井画。
見事としか云いようのない天井画。お寺では鎌倉中期の作と聞きましたが本堂は
江戸再建で時代が合いませんが外陣天井だけ旧材を使用したのでしょうか。描者
不詳。中央に向かって二人の菩薩か天女が手に楽器を持ち宙を舞っています。こ
の絵を見るだけでこの日一日納得!







▼祖師堂。
本堂と渡廊下で繋がり日蓮さんを祀っています。お堂は新しいものです。



▼日蓮宗名号石碑。モチロン、南無妙法蓮華経。



▼番神堂。仏教守護の神々をお祀りしているそうです。



外気にさらされながら、ほとんど褪せることなく、古彩色を保っている本堂天井
画、是非皆さんにも見ていただきたい傑作だと思います。
それでは、茹だりながらヨロヨロと称名寺に向かいます。