土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

霊鑑寺、椿の寺も遅かりし。

2017年04月10日 | 京都の古寺巡り





(2017.04.08訪問)


白川通りや哲学の路を挟んだ左京一帯は大小の名刹古刹が甍を競っていますが、唯一訪ねる機会がなかった霊鑑寺を訪ねてみました。
このお寺椿のお寺として著名で通常は非公開のお寺なんですが、年二回特別公開のこの春のチャンスで、どんより空で時々雨のなか
を訪ねたのです。どうも最盛期を逸して訪ねるのが僕のお寺歩きの特徴、楽日前日のこの日、椿の花は落ち椿、散り椿で境内は少々
情けない椿寺でした。散り落ち椿を風流と感じる通人もおられるそうですが……。




            ▼霊鑑寺寺号石柱。






            [ 霊鑑寺 ]
            ●山号 円成山 (えんじょうさん)
            ●寺号 霊鑑寺 (れいかんじ) 愛称 谷の御所
            ●宗派 臨済宗南禅寺派 (りんざいしゅうなんぜんじは)
            ●開基 後水尾天皇 (ごみずのおてんのう)
            ●開山 浄法身院宮宗澄皇女(じょうほっしんのみやそうちょう)
            ●創建 承応三年 (1654年)
            ●本尊 如意輪観音菩薩
            ▲京都市左京区鹿ヶ谷御所の段町12 Tel. 075-771-4040
            ▲拝観料 600円 御朱印300円
            ▲通常非公開寺院 年二回春と秋公開
            ▲時間 10:00~16:00
            ▲JR・近鉄「京都駅」より市バス「錦林車庫」行きで「錦林車庫前」下車、東へ徒歩10分
             JR・近鉄「京都駅」より市バス「銀閣寺前」行きで「宮ノ前町」下車、東へ徒歩10分
             地下鉄烏丸線「今出川駅」より市バス「錦林車庫行き」で「錦林車庫前」下車、東へ徒歩10分




▼元尼寺の優しさが残る参道石段。






霊鑑寺縁起 (京都観光NaviHPから抄出)
臨済宗南禅寺派の門跡尼寺。1654年(承応3)後水尾天皇が皇女を開基として創建。谷御所、鹿ヶ谷比丘尼御所ともいう。
御所人形200点など皇室ゆかりの寺宝が多い。石組に特徴のある江戸時代中期の作庭手法を用いた、格調高い池泉観賞式庭園があり、
後水尾天皇遺愛の日光椿をはじめ、椿の名木が広い庭を埋めている。




                 ▼京都春の特別公開ポスター。






▼参道石段横にすでにピンクの落ち椿。







▼山門です。







▼スグ左には書院大玄関が。







▼大玄関手前の二本の古木が一面散り椿。







▼オシャレな浮き椿。







▼雨粒もこうして見るとピンクのアート、濃いピンクの中に薄いピンク、センスが光ります。







▼大玄関の正面です。







▼玄関階段下には……、







▼ここにも椿と竹のアートワーク。全くいいセンス、さすが椿のお寺です。







▼それでは中門を潜って……。







▼書院へ。手前左が書院です。江戸期、延宝三年 (1675年) 建造。







▼書院屋根と椿の大木。花もほとんど落ちてしまっています。







▼書院上段の間。後水尾天皇がしばらく住まわれたそうです。(写真はネットから)
 狩野派の障壁画が美しいですが、綺麗すぎてレプリカかな。







▼書院前庭が池泉観賞式庭園。築山から池への傾斜を上手く利用した庭園は見応え充分。







▼石橋と苔の緑に落ち椿。







▼左の小道を登ると本堂へ。







▼珍しい椿が、これは日光椿 (じっこうつばき)。花芯が赤で盛り上がっています。







▼これは月光椿 (がっこうつばき)、花芯が白です。白く見えませんが白です。







▼散り椿。花弁がバラバラに落ちます。







▼本堂。本尊如意輪観音坐像。宝形造 (一部入母屋造が付設)、桟瓦葺、江戸期、享和三年 (1803年) 建造、徳川家斉寄進。







▼本堂屋根の宝形。







▼お庭を回ってみましょう。






            ▼面白い灯籠があちこちに。






▼蹲踞にも椿が浮いています。






            ▼灯籠。






▼床几と和傘に雪柳。晴れていたら映えるでしょうネ。







▼遊歩道の石段。






            ▼灯籠。






▼こんな石仏も。







▼庫裏ですが全景が見えませんでした。







▼ご朱印です。本尊如意輪さんを書いて欲しかったんですが、預けて行ったボクが悪かったと云うことで



椿のお寺 オ シ マ イ




ここで椿一口知識を一つ。
落ち椿は上を向いて落ちているのが大半ですが、実は椿はそんな落ち方をしません。全部うつ伏せに落ちます。
ではなぜ上を向いて落ちているのでしょう。
こたえ 僧侶の方が一つ一つ上に向けて置き直しているそうです。
「ここだけの話やで」と、ボランティヤのおじさんが教えてくれました。本当かウソか知りませんヨ。


それでは雨の中をトボトボとお隣、安楽寺を訪ねます。





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勝鬘院愛染堂、あいぜんさんじゃ~ホッ エッ カッ ゴ~!

2017年04月06日 | 大阪の古寺巡り





(2017.04.05訪問)


あいぜんさんじゃ~ホッエッカッゴ~! 宝恵かごの掛け声です。色街の綺麗どころやベッピンおねーさんが乗る宝恵かごパレード、
大阪三大夏祭りの一つ愛染祭りのクライマックスです。この祭りは四天王寺の境外塔頭、勝鬘院愛染堂の夏祭りなんです。祭りのと
き谷町筋の華やぎはひと、人、ヒトで凄いんですが、今の時期はクルマの騒音だけ、谷町筋から一歩入るだけで人の気配やクルマの
喧噪はありません。お使い帰りの道すがら勝鬘院愛染堂を訪ねてみました。

注、現在、宝恵かごに乗るのは選ばれた愛染娘たちです。以前は北新地や今里新地の芸妓さんたちでした。




            ▼このノッポビルの36階へお使いに行った帰り、谷町筋をフラフラ歩いていたと思って下さい。
             四天王寺西門を過ぎて少し行くと勝鬘院の案内があったと思って下さい。
             細~い細い道に山門があったと思って下さい。






            [ 勝鬘院 ]
            ●山号 荒陵山 (こうりょうざん)
            ●寺号 勝鬘院 (しょうまんいん) 通称 愛染堂 四天王寺の塔頭寺院
            ●宗派 和宗 (わしゅう)
            ●開基 聖徳太子(しょうとくたいし)
            ●創建 伝推古元年 (593年)
            ●本尊 愛染明王
            ▲大阪府大阪市天王寺区夕陽丘町5-36 Tel. 06-6779-5800
            ▲拝観料 境内自由 御朱印300円
            ▲時間 9:00~16:30
            ▲地下鉄谷町線「四天王寺前夕陽ヶ丘駅」5番出口から徒歩2~3分
             JR天王寺駅から谷町筋を北へ徒歩15分




▼その山門です。






勝鬘院縁起 (勝鬘院HPから抄出)
推古天皇元年、聖徳太子は、敬田院、施薬院、療病院、悲田院からなる四天王寺を建立されました。その中の施薬院は、あらゆる薬
草を植え、病に応じてあまねく人々に与えられるようにと現在の愛染堂の場所に建立されたのです。当時の面積は現在より一層広大
であり、また建立の意味あいからいうと、我が国の社会福祉事業発祥の地とも言えます。施薬院が勝鬘院と呼ばれるようになったの
は、このお寺で聖徳太子が勝鬘経というお経を人々に講ぜられていたため、そして勝鬘経に登場する勝鬘夫人の仏像が本堂に祀られ
ているため、後にこう呼ばれるようになりました。




▼扁額には山号荒陵山と彫られています。







            ▼山門横には色付き石標が建ってます。○□明王、どう見ても愛染明王とは読めません。






▼短いですが参道です。







▼赤門 (薬医門) 。







▼赤門を潜ると正面金堂です。一本きりの桜がほぼ満開です。







▼愛染の霊水。女性の方、愛嬌と恋愛成就が授かるそうですよ。







▼桜越しの赤門。







▼満開でもないのかナ。上の方はまだみたいですネ。







▼桜シャワーのつもり。







▼樹齢数百年の桂の木、曖昧な年数ですがこの大木にノウゼンカズラが巻きついていて不気味ですね。






            ▼魚藍観音。お魚を美味しく戴いている日頃の報恩感謝で魚籃観音さんにお参りしましょう。






▼屋根と桜。







▼金堂。本尊愛染明王 (秘仏)
 桁裄五間、梁間四間、入母屋造。本瓦葺。推古天皇元年建立。織田信長大阪石山寺攻めの兵火で焼失、徳川秀忠再建。







▼金堂前面。







▼内陣。本尊愛染明王と十一面観音、勝鬘夫人像が祀られています。







▼内陣の大きな扁額。







▼本尊愛染明王 (秘仏)。年二回公開、正月七日間と夏の愛染祭りの三日間 (写真はネットから)







▼金堂の壁に掛けられた献灯。近松門左衛門や井原西鶴のお話にも描かれている由緒あるものらしいです。






            ▼金堂前左に慈母観音。






            ▼右に慈父地蔵。






            ▼多宝塔 (重文)。大阪最古の木造建造物。推古天皇元年建立。
             信長の大阪石山寺攻めで焼失、慶長二年秀吉により再建。
             本尊大日大勝金剛尊像。極彩色で描かれた十二天の壁画と柱絵が奉安されているそうです。






▼初層四面の蛙股に十二支が彫刻されてます。正面真ん中、午(ウマ)






            ▼多宝塔。






            ▼多宝塔相輪。






▼多宝塔下にヒッソリと。







▼天王寺七坂の一つ、愛染坂が山門前から西に下っています。今しがたチャリンコ坊さんが下って行きました。







▼ご朱印です。






小さな境内に、お堂や塔、お社に石像、石仏が所狭しと配された境内有効利用満点のお寺です。大大阪のど真ん中、本山四天王寺は
お参りの人が絶えることはないんですが、ここは静かなお寺、しかし愛染祭りの頃には一変するんです。開基の聖徳太子もこれには
ビックリするんじゃないでしょうか。





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のざき観音、♪~野崎まいりは~♪

2017年04月04日 | 大阪の古寺巡り





(2017.04.01訪問)


「春うらら」どころか「春うすら」寒い朝でしたが、銀座商店街から東海林太郎さんの歌が聞こえてくるんです。

              ♪ 野崎参りは 屋形船でまいろ  
                      どこを向いても 菜の花ざかり
 ♫ 
                         ♬ 粋な日傘にゃ 蝶々もとまる  
                                 呼んで見ようか 土手の人
 ♩


大大阪のこのお寺を訪ねるのを忘れていました。そうです野崎参りの、のざき観音です。

春のうららが目の前にあるような上手い歌詞ですネ、乗ってみたいねチントンシャン、行ってみたいねかんのんさん。
しかしそんな雰囲気どこにもない。どの名の川に屋形船が行き来したのか、地形的に近くに川の痕跡もないし……、
歌詞のようにこんな長閑な時代って一体何時のこと。※
てなことを思いながら、迷車大和路号は約30分で、のざき観音駐車場に着きました。




▼参道石段。






[ 慈眼寺 (のざき観音) ]
●山号 福聚山 (ふくじゅさん)
●寺号 慈眼寺 (じげんじ) 通称 野崎観音
●宗派 曹洞宗 (そうとうしゅう)
●開基 行基 (ぎょうき)
●創建 天平勝宝年間 (749~757年)
●中興 江口の君
●本尊 十一面観音菩薩立像
▲大阪府大東市野崎二丁目7-1 電話 072-876-2324
▲拝観料 境内自由 御朱印300円
▲時間 9:00~17:00
▲JR学研都市線「野崎駅」下車、徒歩8分
 旧R170号線「野崎」を東へすぐ




▼山門。重層竜宮造りの安定感抜群の堂々の正門です。






慈眼寺縁起 (慈眼寺HPより抄出)
野崎観音は、福聚山慈眼寺といい禅宗のお寺です。1300年ほど前、天平勝宝年間 (749~757年) に大仏開眼のため来朝した婆羅
門僧正が「野崎の地は釈迦が初めて仏法を説いた鹿野苑によく似ている」と行基様に申されました。行基様は、観音様のお姿を彫み
この地に安置されましたのがこのお寺のはじまりです。幾多の戦乱のため荒れはて、永禄八年(1565年)三好、松永の兵によって
全焼、本尊の観音様だけが残りました。長い間、小さいお堂のままでおまつりしてありましたが、元和二年(1616年)青厳和尚が
このお寺を復興され、元禄宝永ごろにのざきまいりが盛んになると共に、お寺も栄え、現在に到っています。




▼まるでトンネル。







▼手水鉢。







▼20段ほど上がれば本堂です。







▼本堂。桁裄三間、梁間三間、寄せ棟造、本瓦葺。
 昭和二十五年、十九世尾瀧一峰和尚が河内一円を托鉢し善男善女の浄財により、日下大龍寺観音堂を譲り受け、解体移築したもの
 で、棟木に元禄八年の銘があります。(慈眼寺HPより抄出)







▼本堂前面。







▼本堂扁額は観世音、後ろ長押には観音さんの立派な額が奉納されてます。






            ▼外廊の天井には……、






            ▼安産祈願やお礼参りの犬の張り子がビッシリ。






▼本堂内陣。







▼本尊十一面観音。御簾が掛けられたお厨子に祀られています。







            両脇陣の四天王です。
            ▼右脇陣の持国天。






            ▼多聞天。






            ▼左脇陣の広目天。






            ▼増長天。






▼本堂。







▼本堂屋根の鬼瓦三態。







▼江口の君堂。本堂の隣にあり中興の祖、江口の君をお祀りしています。







▼江口の君このお厨子の中。やはり御簾が掛けられています。よく見えませんので……、         












▼慈眼寺HPよりお借りした江口の君。
 女性をお守りくださる仏様と言われ、縁結び・安産・子授け・婦人病などに悩むあらゆる女性をお守りくださいます。君像は美し
 く彩色された官女風のお姿で、気高く、りんとして座しておられます。(慈眼寺HPより抄出)






▼薬師堂。






            ▼本尊薬師如来坐像。






▼仮羅漢堂と十六羅漢像。
 昭和二十六年に山崩れで、羅漢堂は流失し尊像も損傷を受けましたが平成十八年修復が完成、仮羅漢堂に一時安置しております。
 (慈眼寺HPより抄出)










お寺からのお願い。
羅漢堂再建を目指し、現在一口一万円で皆様のご寄進、御志しをお願いしております。
なにとぞお力をお貸しくださいますようお願い申し上げます。






▼放生池。







▼お染め久松の塚。






            ▼役行者。






▼西門。







▼背の高いみもざが満開になってます。







▼小さい花がギッシリ。黄色っていいですネ。







野崎観音は飯盛山の中腹にあります。本堂裏手から飯盛山へのハイキング道がありますので少し歩いてみましょう。

▼鐘楼。






            ▼途中慈母観音の石像が。






▼いいお顔です。






            ▼上の笠が今にも落ちそうな九重石塔。塔高330cm、花崗岩製、鎌倉時代。
             胴四面には梵字金剛界四方仏が刻されています。






▼こんなハイキング道が続いています。







▼吊り橋がありました。ハイキングここまで。







途中数カ所で下界のパノラマが眼前に。

▼西方向に大大阪の摩天楼が、手前は大東市街。







▼西北方向、山並みは北摂の山々、中央走っているのは第二京阪道。







▼境内に帰って参りました。ここからお暇です。







▼振り向けばこの青空、なんで今頃。







▼ご朱印です。






♪野崎参りは~ 野崎観音これにてオシマイ


※こんな論文がありました。 
野崎参りの風景 谷口廣之さんの論文の一部 (ネットから)
難波江口と慈眼寺は旧大和川の流路で、また淀川右岸の陸路でつながっており、さらにその道筋は生駒の山系の峠道を超えて大和長
谷寺にも伸びていく。 飯盛山の西に突出する尾根の上に建てられたこの寺は眼下に難波の入江の名残である深野の池を見下す景勝の
土地であったから、奈良、平安時代から此処に寺が建てられていたことは疑いがない。江口と野崎は水路によって直結されていた。
江口から淀川を下り、高瀬で大和河を溯行し、 恩智川の水流に棹させば、舟は野崎観音の門前に着く。






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新薬師寺、天平の甍は健在です。

2017年04月01日 | 奈良の古寺巡り





(2017.03.30訪問)


興福寺が味なことをやっていると聞き、訪ねました。
現在国宝館が耐震工事で休館中、国宝館展示の仏像群が仮金堂に移され須弥壇に祀られているんです。今は無き西金堂に祀られてい
た阿修羅像をはじめ諸仏像がお堂は違いますが、本来手を合わすべき御堂の仏として甦ったと云っていいでしょう。
「仏像はお堂に」常々思っていることなんですが、須弥壇上に祀られた諸仏像は心なしか我が意を得た満足げな表情をされているよ
うに見えましたヨ。


仮金堂の諸仏にナットクして、奈良町をフラフラ、さてどうしょう。
帰社するのには早いことだし、そうだ久し振りに新薬師寺を訪ねて見よう。貫主の中田聖観師がご健在の頃はよく訪ねたんですが、
お亡くなりになられてからは足が遠のいていました。あのスッカラカンになった境内はそのまんまなんでしょうか。




            ▼東門前に建つ寺号石柱。






            [ 新薬師寺 ]
            ●山号 日輪山 (にちりんざん)
            ●寺号 新薬師寺 (しんやくしじ)
            ●宗派 華厳宗 (りんざいしゅうてんりゅうじは)
            ●開基 光明皇后(こうみょうこうごう)
            ●創建 天平十九年 (747年)
            ●本尊 薬師如来坐像
            ▲奈良市高畑町1352番地 電話 0742-22-3736
            ▲拝観料 600円 御朱印300円
            ▲時間 9:00~17:00
            ▲市内循環バス環バス「破石町」下車 山手へ徒歩10分
             JR奈良駅、近鉄奈良駅からタクシー10分




▼南門 (重文)。切り妻造、本瓦葺、四脚門。正門です。






新薬師寺縁起
天平十九年、光明皇后が聖武天皇の眼病平癒のため建立、七仏薬師如来を安置したと伝わり、かつては七堂伽藍が整った大寺院でし
たが天災などで大部分が失われ、現在は本堂だけが残り東門、南門、鐘楼、地蔵堂はいずれも鎌倉時代の建造です。




▼南門からの境内、正面に……、







▼本堂 (国宝)。妙にだだっ広い中で寂しそうでしょ。この前庭、以前は萩や樹木で埋まってました。
 優雅な国宝のお堂です。桁裄七間、梁間五間、入母屋造、本瓦葺。
 言葉が出ない位素晴らしいお堂、奈良天平の名建築、今こうして見ることが出来る幸せを感じます。






            ▼本尊薬師如来坐像 (国宝)。堂内円形土壇で南を向きド~ンとお坐りで、
             周囲を十二神将が囲んでいます。
             像高191cm、木造一木造り、手と足は寄せ木造り。






▼本堂 (国宝)。






            ▼十二神将我折羅大将です。以前描いたペン画です。






▼本堂斜めから撮るのは初めて、遮る樹木がありません。






            ▼本堂前の灯籠、室町時代の作。






▼鐘楼 (重文)。白漆喰袴腰の直線が非常にシャープですネ。






            ▼実忠和尚の御歯五重石塔。御歯塔ってなんでしょう、調べましたが不祥です。
             実忠さんは東大寺二月堂の修二会を始めた僧として知られてますネ。






▼地蔵堂 (重文)。一間四方、入母屋造、本瓦葺。小さいながらも凄く存在感を感じます。







▼正面格子から覗くと、左地蔵菩薩立像、右薬師如来立像、中十一面観音菩薩立像。
 てっきり十一面さんがこのお堂の本尊と思いましたが、堂名が地蔵堂なんで違うんでしょう。






            ▼十一面さんのアップです。まさに十一面観音のスタンダード、総てバッチリ。






            ▼地蔵堂の横に宝篋印塔。
             相輪のテッペンに太陽を入れてゴーストを狙ったんですが上手く行きません。






▼境内隅に石仏群。






            ▼本堂西に会津八一の歌碑。
            ちかづきて あふぎみれども みほとけの みそなわすとも あらぬさびしさ






▼アートな土塀その一。







▼境内の隅々に馬酔木が増えているみたい。萩に代えて馬酔木のお寺へ花替えかナ。







▼香薬師堂への門なんですが……、







▼道も真っ直ぐなんですが……、







▼お堂には立派な扁額が掲げられているのですが……、







▼お堂の写真は土塀を隔ててしか撮れません。
 香薬師堂本尊、香薬師如来は戦前のドサクサで盗難、それっきり行方不明らしいです。
 本尊レプリカは本堂に安置されています。







▼馬酔木。






            ▼アートな土塀その二。






            ▼放生池横の十三重石塔。






▼アートな土塀その三。







▼庫裡への門です。







▼天平の美をもう一度。






萩が境内を覆っていた頃が懐かしいですわ。代替わりして、防犯上植栽を全て刈り取ったと聞きましたが、余りにもアッケラカンの
スッカラカン、歴史の重みがなくなりあの天平の名堂が寂しそうでしたが、お堂や鐘楼、石塔などのフォルムはよく見えるようにな
りました。
以上あくまでもボクの印象です。






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