塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

コーチ、内田篤人の存在感

2024-10-22 22:07:41 | 日記

 現在、日本女子代表にコーチとして帯同している内田篤人。

 

 将来の日本女子代表監督に推挙する声が挙がるほど、適格なコーチングといいます。

 

 内田篤人の声掛けは、否定でもなければ全否定でもない、提案型の様子です。

 

 「それではだめだ」

 「もっとできるだろう」

 

 という否定、発破のかけかたではなく

 

 「今のトライはよかったよ、でもこのような形もあると思うよ」

 「次回はこうした考えがあってもよさそうだね」

 

 というように、選手の挑戦に敬意をしめつつ、同時に新しい視野の確保、技術の提言を行っていると聞きました。

 

 指揮官としての立場を強調

 選手が自分の意見に反論すると、不機嫌になる

 

 という形では、なかなか指揮官として認知はされない時代です。

 

 何より内田篤人は

 

 鹿島アントラーズでリーグ優勝し、入団初年度から先発入り

 日本代表として2014ワールドカップに参戦

 UFFAチャンピオンズ・リーグとブンデスリーガ出の場数

 

 がありますから、なにより選手たちよりも技術があるかもしれません。

 

 ですから必然的に選手が彼の声、意見を聞きたくなるのでしょう。

 

 案外近いうちに、内田篤人代表監督が誕生する可能性、あるような気もしますよ。

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若年世代へのアプローチを思って

2024-10-22 21:55:19 | 日記

 1980年代後半、光ゲンジは日本中を文字通り席巻し、今でも根強い人気を持ちます。

 

 当時は日本だけでの活動でしたが、2024年の現在ならば、映像配信、アジアツアーなどの企画がもちこまれたに違いありません。

 

 光ゲンジがあれだけ人気だったのは、ローラースケートという不安定な形でも、踊りでミスをすることがなかった点もあります。

 

 ただ、それ以上に

 

 メンバーが10代前半から半ばということもあり、声変わりの時期ではなく、美しい歌声でファンを魅了

 少年期と青年期のごく短い、「端境期」に人気絶頂が重なったこと

 

 があると思います。

 

 あの澄み切った歌声は、声変わりを果たした青年では生み出せないでしょう。

 

 サッカーの世界でも、若年層へのアプローチは年々増加しています。

 

 1996年のアトランタ五輪のころまでは、23歳という年齢は若手だった

 しかし、その見本市はアンダー20ワールドカップに変更

 それ以上の魅力として、アンダー17の世代に注目が集まる

 

 という形になり、その代表例がニューバランスと契約したブラジル代表のエンドリッキというわけです。

 

 ただ利権が絡むことも多く、一概に良いとも言えませんが。

 

 日本代表もアンダー16が海外遠征に出ているはずですが、より選手に実戦の場を提供するならば、アンダー13,14,15。

 

 この世代の強化が不可欠ということでしょうか。

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国民を熱狂させる対戦カード

2024-10-22 20:46:35 | 日記

 大リーグはニューヨーク・ヤンキースとロスアンゼルス・ドジャースで、ワールドシリーズを戦います。

 

 日本は福岡ソフトバンク・ホークスと横浜ベイスターズの顔合わせです。

 

 前者はオールスターゲームの勝利者が、よりホームで戦える優位性を持つ

 後者がラミレス監督時に起きた敗戦の借りを返す時

 

 が焦点になるのでしょう。

 

 米国では大リーグに限らず、州を越えたナショナル・カードがあります。

 

 なるほど、Jリーグが同様に

 

 にわかだろうが関心がなかろうが、多くの方に中継を見てほしい対戦カードを熱望

 ただ、それは財務の問題、選手補強の問題、AFCの大会、天皇杯予選などで選手が疲弊

 

 というように、リーグ側が喧伝しても、思うようにいかない面、ありますね。

 

 イタリアではインテルミラノとユヴェントス

 スペインではレアル・マドリードとFCバルセロナ

 スコットランドではセルティックとレンジャーズ

 

 の対戦は、世界規模で周知されています。

 

 しかし、ベルギーやクロアチアはもっと地味ですし、それはアヤックス対フェイエノールトの対戦がある、ネーデルランドも同様ですが。

 

 これらは長い年月だけでなく、宗教的価値観と政治的イデオロギーの対極があるわけです。

 

 そのようなエッセンスが、まだまだ日本には不足しちいますが、だからこそ一定の治安が保たれているわけですね。

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当事者の観点が変化する理由

2024-10-22 20:39:57 | 日記

 「西部戦線異状なし」のように、皮肉ですが戦争は優れた文学を生み出します。

 

 日本では映画にもなった「ビルマの竪琴」がそうですね。

 

 映画も特徴的で、僕は「ダンケルク」「戦場のピアニスト」の2作品を所持、鑑賞してきました。

 

 戦争というものは決してなくなりはしませんが、無くす努力は怠ってはいけません。

 

 またこれらの芸術作品は

 

 1・ユダヤの民に代表される、虐げられた人間たちに焦点

 2・兵士たちがいかに過酷な訓練を強いられ、人間性を失っていくかを焦点

 3・兵士たちが訓練を受け、独り立ちしていくことに焦点

 

 2の代表例がフルメタル・ジャケット、3の代表例がトップガンになるのではないでしょうか。

 

 サッカーも同じ気がします。

 

 記者の観点と指揮官の観点は異なります。

 

 ですから指揮官が、イタリアで採用されている、記者の選手を評価した採点制度を批判するのも当然ですね。

 

 また観客と選手の見解は異なることが基本ですし、ファンはブーイングを浴びせる一方で

 

 乱暴狼藉で不満を解消

 指揮官の早期解任を求める

 

 という粗暴な展開に発展します。

 

 サッカーやラグビーは、代理戦争と思われがちですが、同様に当事者によって大きく見解が異なる点も確かですが。

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