塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

言葉という厄介な代物

2025-02-13 17:01:09 | 日記

 僕は定期的に歯医者で治療を受けています。

 

 昨日も受診しました。

 

 日本の国民皆保険制度は世界有数と指摘されますが、一方であまりにも医療費が安くすむことで

 

 1・米国のように国民が、予防医学を学ぶような下地がない

 2・軽い病でも診療に出向くため、病院が混雑する

 3・薬局の役割が諸外国と比較して目立たない

 

 という意見もあります。

 

 ただ、外国籍の方が難解な日本語で、自分の病状を伝えることが困難なのは想像できますし、だからこそJリーグの場合は通訳やフロント陣の迅速さが必要になる気がします。

 

 それは海外リーグに挑む日本代表選手たちも同じですね。

 

 三笘薫が「グーグル・ピクセル」のコマーシャルに出演していますが、携帯電話の自動翻訳機能は海外旅行で相当活躍するのでしょう。

 

 僕は海外旅行に出向いたことがないので、そもそも翻訳機能の助けを借りたかとは無いのですが。

 

 ただ、選手個人のリハビリもそうですが

 

 1・子供たちが学校に出向く際の言葉

 2・妻、恋人が妊娠、出産の場合

 

 などは、日本でも海外でも心細いに決まっています。

 

 ですから言葉というものは、道具という面もありますが、生活の必須条件でもありますよね。

 

 リバプール時代、アルゼンチン代表のハビエル・マスチェラーノは、妻と子供が英語がなかなか上達せず、街になじめなかったと語り、FCバルセロナに移籍するという事例は、日本でも学ぶべき点ではないでしょうか。

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