人生およそ40年。
過去を振り返ると高校時代は金もないのに、自意識過剰でしたね。
とにかく服装には注意していましたが、雑誌の影響を受けすぎてむしろ不格好でしたし、隅々まで読んでいましたから、デザイナーやブランド名ばかり吸収してしまい、頭でっかちでした。
でも、今はその自意識もずいぶん収まったように思います。
例えば数年前ならば、闇雲にスーツやブレザーを買っていましたし、一つのサイズに固執しすぎて手入れもお直しも怠っていましたが、現在は
「手入れと手入れ用具の大切さ」
「いつくしんで着ること」
の大切さがわかってきました。
英国で老舗の仕立て屋、例えばヘンリー・プールやハンツマンが営業面で苦戦しているのも、顧客が最初に購入した際、当たり前ですが上等の生地であつらえているために、長年愛用している、つまり来店の目的が
新品の購入ではなく、修繕のため
にあり、儲からないのです。
また、彼らは傍目にはわからない、自分だけがわかる生地の濃淡、ストライプの具合というように、ほんおわずかな細部の違いで装いをします。
彼らは極上の服装をしていますが、周囲からの
「いつも同じ格好だ」
「何で違う色彩を好まないのか」
という疑問点を問題と認識しないわけです。
日本の雑誌がマロンやブラックのスーツを提案し、シャツにタブカラーやラウンド・カラーを喚起するのも、誌面がいつも同じでは意味がない、またテーラーが儲かるための策でもあるのです。
でも、僕としてはこの英国の発想、凄く洒落ていると最近は感じるようになりました。
ですからサッカーでも、流行に左右されず、いつも自分が履きたいスパイク、馴染んで新しいデザインに履き替えることを好まない選手は実はすごく素敵な選択をしていると思います。
ナイキでいうとロナウドはすぐに新作をまといますし、かつてロナウジーニョが自身のブランド「R10」を持っていましたし、サイクルという観点から言えばスパイクの流通はすごく早くなりました。
でも、一足に固執して大切にする選手がいても良いですよね。
過去を振り返ると高校時代は金もないのに、自意識過剰でしたね。
とにかく服装には注意していましたが、雑誌の影響を受けすぎてむしろ不格好でしたし、隅々まで読んでいましたから、デザイナーやブランド名ばかり吸収してしまい、頭でっかちでした。
でも、今はその自意識もずいぶん収まったように思います。
例えば数年前ならば、闇雲にスーツやブレザーを買っていましたし、一つのサイズに固執しすぎて手入れもお直しも怠っていましたが、現在は
「手入れと手入れ用具の大切さ」
「いつくしんで着ること」
の大切さがわかってきました。
英国で老舗の仕立て屋、例えばヘンリー・プールやハンツマンが営業面で苦戦しているのも、顧客が最初に購入した際、当たり前ですが上等の生地であつらえているために、長年愛用している、つまり来店の目的が
新品の購入ではなく、修繕のため
にあり、儲からないのです。
また、彼らは傍目にはわからない、自分だけがわかる生地の濃淡、ストライプの具合というように、ほんおわずかな細部の違いで装いをします。
彼らは極上の服装をしていますが、周囲からの
「いつも同じ格好だ」
「何で違う色彩を好まないのか」
という疑問点を問題と認識しないわけです。
日本の雑誌がマロンやブラックのスーツを提案し、シャツにタブカラーやラウンド・カラーを喚起するのも、誌面がいつも同じでは意味がない、またテーラーが儲かるための策でもあるのです。
でも、僕としてはこの英国の発想、凄く洒落ていると最近は感じるようになりました。
ですからサッカーでも、流行に左右されず、いつも自分が履きたいスパイク、馴染んで新しいデザインに履き替えることを好まない選手は実はすごく素敵な選択をしていると思います。
ナイキでいうとロナウドはすぐに新作をまといますし、かつてロナウジーニョが自身のブランド「R10」を持っていましたし、サイクルという観点から言えばスパイクの流通はすごく早くなりました。
でも、一足に固執して大切にする選手がいても良いですよね。