塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

改めて思う富安健洋のすばらしさ

2021-09-24 18:06:58 | 日記
 浦和レッドダイヤモンズ移籍直後から、リカルド・ロドリゲス監督の信任を受けている酒井宏樹。

 彼の根底にはリーグ1,特にパリ・サンジェルマンとの対戦で左翼に位置取るネイマールとの1対1など、各国代表との対戦で揉まれた重厚な体験が刻まれているに違いありません。

 指揮官ホルヘ・サンパオリが酒井宏樹に残留希望を漏らしたように、マルセイユの屋台骨を支えるだけの実力をまだ備えているわけですから、ロドリゲス監督からすれば、最高の選手獲得と言えますよね。

 ではアーセナルに移籍した富安健洋の場合はどうででしょうか。

 紅白戦を行う場合、富安はレギュラー組みでしょうからフランス代表のアレクサンデル・ラガゼット、ガボン代表のピエール・オーバメヤンと対戦することがないと思います。

 しかしユナイテッドと対戦するならば、フルバックとして左翼に陣取るであるポルトガル代表クリスティアーノ・ロナウドか、イングランだお代表マーカス・ラッシュフォードとぶつかりますよね。。

 アーセナルのように最終ラインを4名で形成する場合、フルバックはオーバーラップの頻度が増えます。

 敵陣深くまで切り込めば、例えばチェルシー戦ならばイングランド代表のベン・チルウエルが立ちはだかるように、富安もボローニャ時代以上に桁外れの選手たちと対戦することになります。

 吉田麻也しか日本代表守備選手では通年、プレミア・リーグでたたかったことがありません。

 母国イングランドでは

 クリスマス休暇を含むウインター・ブレイクがない
 降雪、積雪でも試合がある
 リーグカップ、FAカップ、リーグ戦とアーセナルが戦う試合はボローニャを圧倒的に凌駕

 というように、終盤戦まで高い集中力と頑健さが求められます。

 それらを考慮してエミレーツに立つ富安健洋は、本当に代表にかけがえのない存在になりました。
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問われるビッグクラブの意義

2021-09-24 17:53:20 | 日記
 かねてから「西欧のビッグクラブ」で日本代表選手が場数を踏むことが大切、と指摘されてきました。

 しかし近年、この「ビッグクラブ」という単語が曲者のように感じるのです。

 1990年代前半までは、知名度と優勝回数、そして国内リーグの顔であることがビッグクラブの諸条件だったと思います。

 ベルギーならばアンデルレヒト
 ポルトガルならばベンフィカ・リスボン
 スコットランドならばレインジャーズ・グラスゴウ

 という形でしょうか。

 この時代はまだ「チャンピオンズ・カップ」の時代で、上記クラブでも上位進出が可能でした。

 今では到底難しいですが

 1993年優勝クラブ オランピック・マルセイユ
 1995年優勝クラブ アヤックス・アムステルダム
 1997年優勝クラブ ボルシア・ドルトムント

 というように、現在で考えられる財政規模よりも、クラブとして優秀な選手を適正価格で獲得し、商業主義的な形よりも競技に出悠する形がまだ顕著だった時代です。

 しかし、今のビッグクラブは優勝回数やリーグの主というよりも

 どれだけスポンサー収入があるか 例 マンチェスター・ユナイテッド
 どれだけ資産価値があるか 例 チェルシー
 どれだけツイッターをはじめとするソーシャル・メディアに対応しているか 例 バイエルン・ミュンヘン

 など、お金の規模が重要視されていますよね。

 もはやダークホースがチャンピオンズ・リーグで優勝する時代ではなく、ある意味お金の力で優勝を引き寄せる感覚の方が強いと言えます。

 したがって2018-19シーズンのチャンピオンズ・リーグがあれほど盛り上がったは

 1.老舗のアヤックスが4強に進出
 2・プレミア・リーグのスパーズが決勝へ

 という新鮮さがあったためですよね。

 日本代表選手たちもビッグクラブの意義を一度再確認の上、移籍を考慮すべき時代ではないでしょうか。
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偉大なる父とその息子、という幻想はもうおしまいにしましょう

2021-09-23 21:44:37 | 日記
 先日、ネット・ニュースで

 「三浦知良の息子、ライジンへ参加」

 という報道が成されたと記憶しています。

 僕はこのニュース(題名だけですが)を見て二つの事を感じました。

 1・サッカーの名手の息子が総合格闘技で生計を立てるのか
 2・キングは息子さんに、サッカーをしてほしいと伝えなかったのだな

 という2点です。

 通常、名手であればあるほど周囲は身勝手に親との比較で息子を苦しめ、同時にサッカーの道へ進まないと知るや

 「勿体ないなあ、きっと良い選手になると思うが」
 「どうして息子にサッカーを進めなかったのか」

 と余計な詮索を始めます。

 父と息子からすれば、これらがすべて無駄なおせっかいに違いありませんし、特に息子の方は嫌で仕方がないと思いますよ。

 例えばデイビッド・ベッカムも、長男のブルックリン、次男のロメオに対して

 「将来サッカー選手になることを願っているよ」
 「ボールを一緒に蹴らないか」

 とたきつけた様子は一切ありません。

 勿論ジダンの息子たちの様に、敬愛する父のようになりたいと夢見て練習に励む事例もありますが、キングにしてもベッカムにしても

 「息子たちは息子たち、私は私だよ」
 「感性が違って当然なのだから、サッカーをしなさいと強制などしない」
 「彼らが自然に興味を持ったことを応援したい」

 と考えたに違いありません。

 周囲よりはるかに「大人」の対応と言えますし、息子たちもその父の眼差しがうれしかったのではないでしょうか。

 ヨハン・クライフの息子、ジョルディ・クライフは偉大なる父の遺伝子という問題だけでなく、国籍をネーデルランド(オランダ)かスペインかでマスメディアが報道を過熱させるという経験をしました。

 それはジダンの息子たちも同様なのですが、冷静にならなくてはいけないのは当事者ではなく、マスメディアと私たちであることに間違いはないですよね。
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新書「モーツアルトはアマデウスではないを読み始めて」

2021-09-23 21:29:33 | 日記
 昨日から集英社新書「石井宏 モーツアルトはアマデウスではない」を読んでいます。

 これから第5章(106ページ)を読みますが、ここまで読んだ印象は現代版の

 「ネイマールとネイマールシニアと同等の事柄」

 という代物です。

 モーツアルトの父レーオポルトは、アウグスブルクの製本職人の家に生まれ(つまり市井の子供)ますが、先天的才能に恵まれたおかげで奨学金を得て、ザルツブルクの大学へ進学することになります。

 ただ理由は現在でも判明されてはいない様子ですが退学処分となり、当時の社会的最下層となる「楽士」として生計を立てるようになり、28歳で結婚し、モーツアルトとその姉の父となります。

 レーオポルトの父はすでに他界
 母親は彼を廃嫡

 ということもあり、モーツアルトが描く天才的な能力をみたレーオポルトは、我が息子を皮切りに自分が得るはずだった明るい将来(高い地位と名声、そして報酬)が待っていると信じるようになります。

 そしてレーオポルトは息子のプロモーターとなる決意をしますが、前途多難という形に見舞われる

 というのが4章までに描かれています。

 ネイマール・シニアも選手としての経験があったはずですが、ネイマール・ジュニアほどの契約と代表歴に恵まれたわけではありません。

 むしろ先天的に恵まれた我が息子を材料に、自分の名声と地位を向上させている印象が強く、不幸なことに父と息子には

 「金に汚い親子」
 「父のマネージメントは息子の悪影響を与えている」

 と芳しい評価が一切ありません。

 先輩であるロナウジーニョは、兄のアシスが代理人を務めていましたが、そのマネージメントが強引すぎたため、古巣のグレミオから絶縁されていますが、ネイマールもサントスには戻れません。

 サントスのクラブハウスの外壁には、王様ペレを軸に英雄たちの肖像画が描かれていますが、ネイマールは既に消されているんですね。

 モーツアルトはこれからイタリアに渡り、充実した生活を送りますが、ネイマールはパリ・サンジェルマンとの契約が終了した際、どこへ向かうつもりでしょうか。

 ロナウドの母親は愛する息子に

 「私が生きている間に、再度スポルティング・リスボンのジャージを着てほしいの」

 と語りましたが、ネイマールは既にその道が断たれているわけですからね。

 父が代理人の場合、当然手数料が不要ですがその点も「がめつい」という印象なのでしょうね。
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本田圭佑は、今でもカンボジア代表と関係性があるのだろうか

2021-09-23 18:11:05 | 日記
 株式会社「カンゼン」が刊行している「アジア・フットボール」

 第7号は「アジア燃ゆ」という題名で、巻頭特集として本田圭佑のアジア革命、カンボジア、オーストラリアで描く未来図が記載されています。
 
 この当時はまだ、本田はメルボルン・ヴィクトリーに在籍していたわけですが、そう、皆思いますよね。

 彼がアゼルバイジャンから移籍し、通算9カ国目となるリトアニアでプレイすることを選択しました。

 その一方で

 「彼はカンボジア代表との関係を現在どう見ているのか」
 「そもそもカンボジア代表とのつながりは継続しているのか」
 「コロナウイルスの影響でカンボジアへの入国もなかなか難しいとは思うが、両国に直行便があるのか」

 など、疑問点が多々あります。

 フース・ヒディンクも2005年、オーストラリア代表監督に就任しましたが、これも驚くことにエール・デヴィジのPSVアイントホウーエンとの契約を結んだままでの就任でした。

 彼本人よりも(当然ですが)周囲の疑問は相当なもので、ヒディンク自身がはオーストラリア代表をウルグアイ代表とのプレーオフとはいえ、2006年ワールドカップに出場し、責任を果たしましたが。

 本田圭佑の事ですから、パソコンなど最先端機器を駆使して選手たちの行動や体調管理の情報を、随時仕入れているのでしょう。

 ただ、選手とカンボジアサッカー協会からすれば、異国にいる代表監督(肩書は異なりますが)と、身近にいる代表監督では、当然後者を求めると思いますが。

 ただ、本田には本田の方法があるのでしょうし、カンボジアサッカー協会(今でも彼との関係性が継続しているならばですが)も納得している点で、部外者が意見しても仕方はないのでしょうね。
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