午後から奥田神社へ。
1月17日は堀直虎公の命日。
今日は150回忌の祭事として慰霊祭が執り行われる。
今回は有り難いことにお招きいただき
同神社氏子総代、須坂市長始めご関係の深い方々とご一緒に
祭事に参列させていただくことになった。
13:30、実行委員の方と4月公演のチラシ打ち合わせ。
若干直しが入ったものの、大枠でOKを頂けたのでホッ。
チラシ・チケット・ポスターは
来週印刷会社に入稿し、月末に完成予定。
14:00少し前に本堂へ移動。
本堂前で手水の儀(後で調べました)
宮司様の奥様が柄杓でお水を手にかけてくださり
懐紙を渡され手をふく。
どうやら口もゆすがねばならなかったようで…
申し訳ありません・・・
本殿には名札が乗せられた椅子が並べられている。
自分の名札の椅子に腰を下ろすと
前方には三木市長、お隣は観光協会の会長さんでした。
ご挨拶をしていると間もなく大きな太鼓が鳴り響き
慰霊祭が始まった。
宮司様の声の響きが良く、直虎公の御霊が降臨し
再び天空にお昇りになられるイメージが浮かぶ・・・
直虎公のご冥福を祈念すると共に
4月公演の無事故・大成功を祈る。
直虎公は天で喜んでくださっているだろうか・・・
私は仏式であれば経験があるが神事には初参列で
作法を知らなかったため
見様見真似で玉串を神前に捧げました・・・
マジ、ドキドキものでした・・・
事前に調べておけば良かった(^_^;)
せっかくだから、玉串奉奠[たまぐしほうてん]の作法について記しておこう。
玉串奉奠は玉串拝礼とも言うようです。
●まず玉串について
玉串とは、一年中青々とした葉が茂り
神さまが宿るとされる榊の枝に
紙垂(しで)や麻を結び付けたものをいう。
榊の他に樫、松、杉、樅などの常緑樹 を用いる地方もある。
常緑の枝を用いるのは、神さまが木に宿るということから転じて
神さまに対するお供え物の意味もあるすが
清らかな誠心の 気持ちを捧げる「しるし」と考えられる。
木偏に神と書いて「さかき」と読む榊には
「栄える木」、神社を神聖な場所として
「境とする木」の意味もありるそうだ。
●玉串奉奠とは
仏式の焼香にあたるものとして神式では「玉串奉奠」が行なわれる。
参拝者は玉串を祭壇に捧げ、故人の冥福を祈る。
玉串奉奠はほとんどが立礼で行われる。
1.玉串を受け取り、玉串の先を時計回りに90度回して立てます。
2.左手を下げて根元を持ちます。このとき玉串に祈念を込めます。
3.玉串をさらに時計回りに回し、根元を神前に向けます。
4.やや進んで、玉串を案(机)の上に置きます。
5.やや下がり、二拝二拍手一拝の作法でお参りします。
以上、下記のHPから引用
玉串奉奠の作法について
葬儀参列豆知識
ひとまず見様見真似で何とかこなしたが
事前の下調べは大事ですね・・・反省(^_^;)
けど、貴重な経験をさせていただきました。
何としても感動の舞台を提出しなければ…と
決意を新たにしたひと時でした。
その後、社務所に移動して、直会(なおらい)にも出席。
お神酒で献杯。
お弁当が用意されていたが、誰も食べる人はおらず
お酒を酌み交わしながら、暫し歓談。
一時間ほどで解散となったが
お弁当はお持ち帰り用の袋が用意されていて
他のお土産と一緒に有難く頂戴した。
皆さん、4月の舞台を大変楽しみにされているご様子。
気が引き締まる思いでした。
社務所を後にして、すぐ近くの中央公民館へ移動し
ロビーにて、取材を受ける。
実は、須坂市広報誌に私のインタビュー記事を
ご掲載していただくことになりまして・・・
有り難いことですね(^^)
40分ほどお話して、顔写真撮影(汗)
ご担当職員のSさん、お疲れ様でしたm(_ _)m
そのまま、稽古場へ直行!
何しろ雪で道路状況が悪く、一度帰宅したら
18:00前に到着することは厳しい。
17:30頃、稽古場到着。
いただいたお弁当をあけると
あまりにも豪勢でビックリ!
とても美味しかった(~O~)
今日は本読みとテーブル稽古。
まずは時代背景、役の前提条件を明確にした上で
しっかりと読み込んでもらってから
立ち稽古に入りたいと思っている。
ただ台詞をつらつら言ったのでは
お客様に言葉の裏側の心が届かない。
出演者一人一人が心と声と身体を磨き
全員で一丸となって舞台を創作していけば
必ず素敵な舞台になること間違いなし\(^o^)/
そうだ!
一つ気になっていることがあった!
奥田神社の本殿に田中角栄元総理から寄付(御玉串料)を
頂戴した旨が彫られた木彫看板が飾られているんだよね。
一昨日の直虎ツアーの折に拝殿した時から
この木彫看板が気になっていた。
なぜ田中元総理が?
どんな繋がりがあるの??
田中角栄元総理は新潟県出身。
長野県のしかも須坂市とどんな関わりがあるのか・・・
で、経緯か気になってネット検索。
と、下記の記述を発見!
田中角栄元総理も奥田神社を表敬訪問
http://weekly-nagano.main.jp/2011/12/126.html
何でも角栄氏の私邸通称"目白御殿"は須坂藩・堀家の江戸屋敷だったとか!
そうだったのか…
知らなかった…
本墓がある東京都赤坂の種徳寺にはお参りに行ったけど
江戸藩邸が存在した場所までは確認していなかった。
訪問日は1973年(昭和48)11月初旬。
この1年後の11月27日、角栄元総理は
ロッキード事件で退陣表明をすることになるが――