mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

パスポート

2009年08月21日 | 旅行記

 パスポートが今年の7月に期限切れとなったしまいましたので、今月、更新しました。

 今回も10年間、有効のものを申請したのですが、前に申請した時と手続きが異なっているものがありました。

 手数料が大幅にアップ!”ではなくて、自己宛の葉書を添付しなくて良いという取り扱いになったそうです。

 それと、住民票も必要ないそうです。(ネットワークに加盟していない市町村を除く。)

  手続きが簡略化したのは、誠に結構な話ですが、できれば10年もので16,000円(印紙14,000円、証紙2,000円)という手数料も引き下げていただきたいものです。

 ところで、この頃、オーストリアの記事を連載していますが、オーストリアへ行く予定がある訳ではありません。

 前にも話しましたが、来年、春にトルコへ是非、いきたいと思っています。

 そして、身体が動くうちですから、秋には中国の九賽溝に行きたいですね。

 ヨーロッパへは、その次の年になるということかと思いますが、気持としては「行きたくてウズウズ」しています。

 ところで、最近、一日が過ぎるのが早くて、何をしたのか分からないうちに終わってしまうと感じています。

 今日は、朝、5時に起きて、畑に行って来ました。

 草むしりを兼ねて収穫してきました。今年は夏野菜が不作で、値段が高いそうですが、わが家ではキュウリは枝が枯れてきてダメですが、ナスやモロヘイヤ、ゴーヤなどは十分、収穫できます。

 先日のお盆には、畑からとってきたものが収穫籠にいっぱいあり、処分に困るほどでしたが、今日も、ナスが20個くらい採れましたし、枝豆も鉄製のアミ籠が一杯になるくらいでした。

 枝が枯れてきて、元気がなかったトマトも新芽が勢いよく出て花が着いてきましたので、もう一度、収穫ができそうです。

 畑で赤く熟したトマトってホント、美味しいですね。あのほのかな甘みと青臭さが堪りません。

 少し、涼しくなってきましたので、これからは秋野菜(大根、白菜、水菜など)を植えようか?迷っていますが、大根は、何が何でも植えたいものです。

 それと、豚ぷんを入れたり、来年、春に収穫するタマネギ、ラッキョウ、ニンニクの苗を植えることなど、秋の農作業も結構、忙しいものです。

 畑の話が長くなってしまいましたが、庭の水やり、金魚の世話、絵画の修理、パソコンの作業などなど、仕事をしていたときにできなかったことが沢山あり、遊んでいる暇がありません。

 そして、人間の生活の楽しみである食にも多いに関心があるものですから、「自分で調理をしたい。」などと考えて、一部、実施しています。

 もちろん、政治や社会の動きにも多いに関心があります。

 また、メタボな体を鍛えることもやっていますし(痩せないな!)、できれば、「教養を身につけるため本を読む時間が欲しい」などと欲張った考えを持っています。

 いつものことですが、まとまらない報告となってしまいました。


オーストリアの歴史

2009年08月20日 | 旅行記

 前回は、オーストリアのドナウ川、ヴァッハウ渓谷についてお伝えしました。

 今日は、そのオーストリアの歴史に深く関係するハプスブルク家についてお伝えします。

 オーストリアは、紀元前よりイリュア人やケルト人による鉄器文明が栄えていたそうです。

 しかし、その後、この鉄器文明と岩塩という貴重な資源を求めて、ローマが長い間、支配したとされています。

 その間、ドナウ川を利用した交易の拡大、キリスト教の布教などがあったのですが、最初のローマの支配は、ベーベンベルク家のレオポルド1世という方に命じて統治する、という形だったようです。

 ところが、1240年代のベーベンベルク家のお家断絶により、スイス、ハプスブルク家のルドルフ(1世)という方がローマからオーストリアの統治を任されたそうです。

 ここから、ハプスブルク家が640年間に渡ってオーストリアを支配することになったのです。

 ルドルフ1世は、その支配領域を拡大するにあたり、「婚姻」という政策を採ったそうで、これが後のハプスブル家の家訓みたいなものになったそうです。

 戦争をするより、婚姻関係を結んで平和に領土を拡大できるのであれば、こんな良いことはないと思います。

 それは、人の命や戦費などを考えると、民にとってばかりではなく、支配者(ハプスブルク家)にとっても非常に優れた政策だと思います。

 戦争というのは、皆さん、ご承知のように、資源を求めて、他国の領土を力ずくで手に入れようとするものです。

 そこには、欧米独特の「弱肉強食」という根本思想が横たわっているような気がしてなりませんが、ハプスブルク家の基本思想はそれを否定しているのですから面白いものです。

 もちろん、どのような手段であれ、他国の領土を奪ってしまうことを肯定するつもりはありませんが、16世紀にスペインやハンガリーを領土にした時は、「婚姻」という手法を使ったようです。

 しかし、ヨーロッパは、地続きですから「そんな悠長」なことを言っていられない時もあったはずです。

 現に、17世紀にオスマントルコ軍などと戦っています。

 ところで、現代のように大量破壊兵器が発達し、また、日本の特攻隊のような自爆テロやゲリラ戦などの手法を見ていますと、キリスト教とイスラム教という宗教の戦いのような感じがして、根本的な紛争解決は難しい!と思います。

 紛争解決に「どのような手段があるのか?」想像もつきませんが、ハプスブルク家の婚姻政策ような平和的な手段はないものでしょうか?

 「あれば、とっくに世界が平和になっいる!」と言われそうですね。

 今日は、話がとんでもない方向に流れてしまいました。 


ヴァッハウ渓谷の続き

2009年08月19日 | 旅行記

 前回は、デュルンシュタインで小生が見るべきものは、聖堂参事会員修道院であると思ったが、違っていた、という話でした。

 そして、小生が気に入ったものが二つあった、というところまでをお話ししました。

 その一つは、写真に残っていないのが誠に残念なのですが、「クーリンガー城址」です。

 ここは、1192年に英国のリチャード獅子親王という方が第3次十字軍遠征の帰路、オーストリア公のレオポルド5世という方に捕らえられ、この城に幽閉されていた城として有名になっています。

 残念ながら、私達は、小高い丘の上にあるこの城址に行かなかったのですが、今度、訪問するときには必ず、訪問したいと思います。

 ここが有名なのは、単に、英国の王様が捕らえられて、幽閉されていたからという話ではなく、幽閉された王様のその後の話が伝説になっているからです。

 現地で聞いた話は、次のような感じでした。

 王様は、1194年に多額の身代金でようやく英国に帰ることができたのですが、王様の部下が王様を捜す際に、王様の好きな歌を唄いながら城の近くを通ったところ、城から王様の懐かしい歌声が聞こえてきたというものです。

 それだけ王様は英国へ帰りたかった!ということと、王様と部下の厚い信頼関係を示す話ですが、小生は、日本の「ああ、誰か故郷を思わざる」の歌詞が浮かんできました。

 そして、もう一つ面白いと思ったのは、多額の身代金を取ったオーストリアにこのような伝説が残っていることです。

 さて、話が変わって、小生がデュルンシュタインで感動したものの二つ目ですが、それは、この街にある「ハプト通り」です。

 南イタリアのアルベロベッロもメルヘンな街並みでしたが、小生は、ここの方が街にアクセントがあって面白く、楽しい!と感じました。

 そして、この通りにある可愛いレストランで昼食をいただいたのです。

 イヤー出てくる料理といい、山高帽のようなノッポのシェフといい、このオモチャのような街に相応しい雰囲気でした。

 その店の名前ですか?残念ながら覚えておりませんが、皆さんも、ここ、デュルンシュタインに行って、是非、このメルヘンな通りを散策して下さい。

 今日はヴァッハウ渓谷についてお伝えしました。

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オーストリア:ヴァッハウ渓谷

2009年08月18日 | 旅行記

 ドナウ川は、ドイツからオーストリア、ハンガリー、ルーマニアを経て黒海へ注ぐ約3,000キロの大河です。

 ドナウ川といいますと、「美しき青きドナウ」を思いおこす方もいらっしゃると思いますが、私達が旅した「オーストリア大周遊」では、この雄大なドナウを船で楽しんだのです。

 でも、残念ながら美しき青きドナウではなかったな!

 「青き」と言うより「どんより」色のドナウという感じでしょうか?

 「どんより」が理解できない?

 そうですね、「土色で青色がどんより霞んでいる」とい言ったら良いのでしょうか?

 話しを戻しまして、このオーストリアでの船旅、ドナウ川クルーズは、「メルク」「デュルンシュタイン」「クレムス」を結ぶコースで、ブドウ畑と古城が連なる風光明媚な「ヴァッハウ渓谷」と呼んでいる場所を巡っています。

 船に乗る場所は、「メルク」ですが、ここには、オーストリア有数のバロック建築であるベネディクト派大修道院、通称、メルク修道院があります。

 メルク修道院の詳細につきましては、小生の「mugifumu夫婦の海外旅行」をご覧いただきたいと思いますが、黄色と白を基調とした壮大な建物に旅行者は圧倒されるばかりです。

 ドナウ川クルーズの船上からは、この壮麗な建物が輝くように川と渾然一体となっており、その様子は、まさに「一幅の絵」という感じでありました。

 さて、船に乗ってしばらく行きますと、川の両岸には、お城(アックシュタイン城、シューンビュール城など)や小さな街並み(ヴィレンドルフなど)が見えてきますが、今から思うと、ドナウよりラインのほうが古城が多いなど変化に富んでいて楽しかったような気がします。

 でも、私達が船から下りて昼食をいただいた街、「デュルンシュタイン」は、印象深い街でした。

 メルクからデュルンシュタインまでは約1時間10分で着きますが、デュルンシュタインの船着き場では、白と青が印象的な聖堂参事会員修道院が待っていました。

 デュルンシュタインの見所は「この修道院だ!」と思ったのですが、そうではありませんでした。

 ここ以外に小生が「いいな!」と感動したものが二つありました。

 その内容につきましては、次回に報告したいと思います。

 

 

 


美しきウィーン

2009年08月08日 | 旅行記

 前回は、ウィーンの旧市街の名所を巡るコースを紹介しましたが、そのほかに、「音楽家ゆかりの地を巡る」や「ハプスブルク家ゆかりの地を巡る」コースなどがあるようです。

 音楽家コースでは、音楽をさまざまな方法で体験することができる博物館(ハウス・デア・ムジーク)からモーツアルト博物館をまわり、ベートーベンが住居としていた家である「バスクヴァラティハウス」、ベートーベンが遺書を書いた場所である「ハイリゲンシュタット遺書の森」同じくウィーンの森にある「ベートーベンの散歩道」最後に個性溢れる店が軒を連ねる「ホイリゲの村」を尋ねるなどとなっています。

 小生とマイワイフは、二度もウィーンを訪問していますが、「音楽家ゆかりの地」どころかウィーンの旧市街地巡りのコースも満足に見ていません。

 などと誠にもったいない旅をしているのです。特に、OPツアーで「ウィーンの森」を見学しているのですが、肝心のホイリゲ村には行っていないようです。

 ホイリゲには、ウインナー民謡やシュランメル音楽などのホイリゲショウが見られる「クロンプリンツ・ルドルフスホーフ」という店や自家製ワインのみを販売し、料理は典型的なウィーン料理を提供している「バッハ・ヘンゲル」などなど多彩な店があるそうです。

 どうして、こういう楽しそうなところに行かないのでしょうね?

 それでは、何処へ行ったのか?と聞かれそうですが、どうやら「南の森」にいったようです。

 ドイツのノイシュバンシュタイン城に似ているリヒテンシュタイン城を見学して、その後、映画「うたかたの恋」で知られる「マイヤーリング」や美しい修道院である「ハイリゲンクロイツ」などを訪問しています。

 特に、マイヤーリングは、シィシィの息子である皇太子ルドルフが17歳の男爵令嬢マリー・ヴェッツェラとピストル自殺をした悲劇の舞台としてあまりにも有名です。

 でも、このように、二人は自殺したとされています(映画でも)が、真相は謎に包まれているようです。

 ところで、先ほど申し上げたベートーベンゆかりの地であるハイリゲンシュタットは、ウィーンの森でも「北の森」にあるようです。

 次回には、事前勉強をしっかりして、ウィーンをじっくり見学したいものです。

 今日は、思い出深い美しきウィーンについてお伝えしました。