別所沼のヒヤシンスハウスです。
東京大学建築学科の卒業で、将来を嘱望された建築家でもあった詩人立原道造は、1937(昭和12)年冬から翌年春にかけて、当時、葦がおい繁り静寂をきわめた別所沼の畔に、自らのために小さな週末住宅を建てようとしていました。
1939年(昭和14年)第1回中原中也賞受賞。3月29日、病状急変し永眠。享年24歳でした。
「詩人の夢の継承事業(さいたま市政令市記念市民事業)」として、立原道造が構想したヒアシンスハウスを2004年11月6日に竣工しました。
立原道造が書いたヒヤシンスハウスのスケッチの写しです。
とても美しく繊細なスケッチです。
CADの図面になれてしまった今、建築の勉強をし始めたころを思い出します。
ヒヤシンスハウスのコンパクトさがよく見えるスケッチです。
玄関のドアを開けると開放的な窓があって、とても気持ちいい風が流れていました。
「僕は、窓がひとつ欲しい。」
「あまり大きくてはいけない。そして外に鎧戸、内にレースのカーテンを持つてゐなくてはいけない、ガラスは美しい磨きで外の景色がすこしでも歪んではいけない。窓台は大きい方がいいだらう。窓台の上には花などを飾る、花は何でもいい、リンダウやナデシコやアザミなど紫の花ならばなほいい。」
スケッチを忠実に再現しています。
立原道造の思いが伝わる空間です。
左のドアの個室はトイレなんですが、今は水場になっています。
左を見れば長いカウンターと開放的な窓があります。
一枚板を贅沢に使ったカウンターで、パブリックスペースとプライベートスペースを柔らかく仕切っています。
奥はベッドが作り付けでセットしてあり、窓を小さく切ってあるので、とても落ち着いた空間になっています。
余計な線がない、気持ちがいい部屋です。
横長の窓の外観です。
雨戸があるのですが、戸袋の鏡板がなく、すっきりしています。
ポールに旗がなびいています。
元々の設計は沼の反対側に作る予定だったそうで、近くにの高台に住む仲間たちに在宅を知らせるための旗だったそうです。
コーナー窓に雨戸を閉めるとこんな感じになります。
雨戸はハンガー式で、ちゃんとコーナーには鍵が掛かるようになっています。
公園の緑にとけ込んだ小さな隠れ家で、なんと同じ建物を軽井沢につくってしまった人がいるそうです。
狭くなく、広くなく丁度いい空間は、年を経た今でも大人の悪戯心をくすぐっている様です。
私が生まれる18年も前の設計なのに、何の違和感もなく受け入れられる空間に感謝です。
ヒヤシンスハウスはこちら
http://haus-hyazinth.hp.infoseek.co.jp/page00-menu.htm
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どんな人生を歩んできたのか?
どんなライフスタイルをしているのか?
そう言うことが住まいに反映されると思います。
素材感を大切にした木の家(木造住宅)をつくることの歓びを体感したい。
そんな気持ちを形にする応援をしたい。
ハウスメーカーの家や大工さんがつくった家とも違う、設計事務所らしいアトリエ系工務店を目指しています。
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