朝、ちょっとゆっくり目にルルの散歩に出かけると、小学生が登校していく時間と重なる。子どもたちは、思い思いのペースで歩いている。そのなかでひときわ目立つのが、黄色い帽子だ。小学1年生。
こんな帽子をかぶるようになったのは、いつの頃からだろうか。自分の子ども時代には、緑のおばさんが横断歩道を渡る子どもの安全確保に立っていた。黄色い帽子はなかったような気がする。
学校に上がる前に、「一年生になったら…」と希望に胸を弾ませていた子どもは、一年経って黄色い帽子がとれる頃、どんな思いで学校に通っているのだろうか。学校と子ども。私の研究テーマでもある。
こんな帽子をかぶるようになったのは、いつの頃からだろうか。自分の子ども時代には、緑のおばさんが横断歩道を渡る子どもの安全確保に立っていた。黄色い帽子はなかったような気がする。
学校に上がる前に、「一年生になったら…」と希望に胸を弾ませていた子どもは、一年経って黄色い帽子がとれる頃、どんな思いで学校に通っているのだろうか。学校と子ども。私の研究テーマでもある。
三学期の初めにクラスメイトが起こした「線路置石事件」が痛烈に思い出されます。二年生の記憶と混同せずに刻み込まれる大事件だったのでした。子供の並べる敷石ですから列車が転覆したわけでもないのですが、担任女教師の涙が忘れられないのです。
ところで、時差は完全に無くなりましたでしょうか?
今回、飛行機のなかで朝焼けを見た以外はほとんど寝ていたので、それが功を奏して時差ぼけはほとんどありませんでした。帰国後翌日から犬の散歩を再開したのもよかったのかもしれません。
「今の子って授業参観にいくと驚くよ。勝手に席立ってどこかへ行っちゃうしさ。先生もそれを無視だし、
先生が、少しでも注意すると次の日から学校こなくなんのよ。」友は、もうそんな話は慣れて今の子って怖いよ。と、言う。私は、しばらく聞いていたが「子供もの気持ち知りたいな。小さな胸に大きな抱えきれないものがあるんじゃない。」と、答える。
日本の未来はどうなると、大人のものさしで考えず子供の側にたって欲しいと願います。
1955年から73年にかけての高度経済成長で、日本人が得たものは大きかったと思いますが、同時に、失ったもの、捨て去ってしまったものはそれ以上に大きかったと思います。
「無責任さ」「いい加減さ」が横行する今の社会を形作った原因は、高度経済成長期に存在していると考えています。