ここのへの ためしをとほき 夢につみ 苦しきことも よきこととしき
*これは獅子のぶち切り活動が芸能界を飛んでいる時に詠まれた歌ですね。ちなみにこれを書いているのは8月の中旬です。彼は今もぶち切りまくっていますよ。
獅子というのは、瑠璃の籠でいうゾスマのことですよ。前にも言いましたが、何度もいうのがわたしたちの流儀というものですから。試練の天使が繰り返し彼のイメージを流しますから、そろそろ彼の怖さがわかってきたでしょう。
まさに天使という感じの、かのじょのやさしげな姿とは、かけはなれた天使なのです。すごく、こわい。
しかし、こういう人は、本当はめったに怒らないものなのですよ。多少の馬鹿など、当たり前のこととして、とおりすぎてゆくのです。だが今はその彼が、怒髪天を抜くほど怒っている。たまらないことになったのです。
上の歌は、かのじょのために桐が歌ったものです。「ここのへの(九重の)」は幾重にも重なっているという意味だ。そういう意味では七重も八重も十重も二十重も千重も使えますが、文字数が適当で響きもよいのが「ここのへ」なわけです。
「ここのへのためし」とは、何度も何度も努力したという意味です。
度重なる努力を、遠い救いの夢のためにつみ、苦しいこともいいことにして、あの人はがんばったのだ。
それをことごとく馬鹿にして、最も汚いものに落として、嫌なものにしようとしたので、獅子がとうとう怒ったのです。
獅子の星とは、警察組織が天使にまで進化したというものに、わたしたちがつけた名前です。ゾスマのほかにも、それは厳しい人がたくさんいるが、ゾスマはその中でも特に冷静です。
人類の馬鹿に最終的な引導を渡すときには、必ず彼がやるだろうと言われていました。そして実際、彼は今そのようなことをしている。
これもまた愛なのです。自己存在が本当の愛の存在になるためには、こういう人もまた必要なのだ。
「ためし」ということばには、古語から離れて「試行錯誤」という意味をもたせていますが、それと同時に、「試練」という意味も発生しますね。
獅子は恐ろしい馬鹿をみんな、新たな試練の段階に落とします。彼らはそこで深い勉強をせねばならない。
それもまた、神の愛だと思いましょう。