Toshiが行く

日記や趣味、エッセイなどで描く日々

エレジー

2023年01月19日 06時00分00秒 | エッセイ

「あの歌を歌ってくれ」
カウンターに7、8席が並ぶ小さなスタンドバー。
何軒か回った末に落ち着くのがこの店だった。
閉店間近の店には、もう僕ら2人きり。 
直属の部長、確か僕より13歳上だ。

酔ったふうの彼は久しいことだった。
この日、僕に多少の問題がありはしたが、
それが彼を悩ますとは思ってもいなかった。
たまたま2人とも早帰りの日で、
部屋を出たところで一緒になったに過ぎない。
「どうだ」と一言。「はい」とためらうことはなかった。
言葉を交わすこともせず、彼の少し後ろについた。
行く店は決まっている。その順番も。
だいたい3軒というのが普通だ。

彼は強い。僕はダメだ。
そんな2人なのに、彼はしばしば「どうだ」と言った。
僕も寡黙を身にまとい、そのたたずまいで何かを伝えるかのような
彼を好ましく思った。



この夜も彼は口数が少なかった。
大した話をするでもなく、何となく時間を過ごした。
ただ一つ、説教というほどではなかったが、少しばかり力を込め
「一つのことが出来る奴は何をしてもやれるものだ。
自信を持って進め」
そんなことを言った。
実はその日、僕は場合によっては懲戒解雇かといった
大きなポカをやらかしていたのだ。
おそらく、彼は僕の背に手を置いてくれたのではなかったか。
それが彼の部下に対する接し方だった。
僕はそんな彼を上司というだけではなく、人として信頼し、
「どうだ」と言われれば、何をおいても付き従った。

「ママ 曲を流してやってくれ」
そう言いながら彼は100円玉を渡した。
流れてきたのは、あがた森魚の『赤色エレジー』だった。
僕はあわててマイクを取った。
当時のカラオケは曲を流し、歌詞ブックを見ながら歌うだけである。
今みたいに映し出された画面を見て歌うのではない。
それでも僕は、歌詞は見なくとも歌えた。

いつの日だったか、たまたま僕が歌ったのを気に入ったらしい。
こうして2人きりになると必ず「歌ってくれ」となる。
何がそんなに気に入ったのか。
まさに昭和エレジーとも言える、どこかしんみりした歌である。
そう言えば、口数少なく、時に寂しげな彼が持つ雰囲気とよく似ていた。
歌っている間、彼はグラスをじっと見つめ続けていた。
何を思っているのか。
歌が終わると、やっと顔を上げ「お前も一杯やれ」となる。
思い切ってグラスを空けた。
しばらくすると、頭が少しクラクラっとしてきた。
呂律も怪しくなる。
そして聞いてみた。
「な、なぜ この歌がす、好きなんですか」
すると彼は「好きだから好きなんだよ」とだけ言って、
手酌でぐいっといくのである。

彼の葬儀の日、僕はあのスタンドバーで
一人『赤色エレジー』を歌った。
「好きだよな この歌」
彼の声が聞こえたような……。


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2 コメント

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Unknown (ブン子)
2023-01-19 16:57:20
Toshiさん、こんにちは。
赤色エレジー、妙に耳に残るというか、気になる歌だと思っていましたが、改めて聞きました。
スタンドバーでのToshiさんと上司の様子が目に見えるようです。
「一つのことが出来る奴は何をしてもやれる」
この言葉も胸に沁みました。
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Unknown (Toshiが行く)
2023-01-19 17:29:47
ブン子さん こんにちは。いつもありがとうございます。歌にはそれぞれなにがしかの思いがあるものです。赤色エレジーは、まさにこの部長に重なるものです。本当に尊敬し、好きな方でした。
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