Toshiが行く

日記や趣味、エッセイなどで描く日々

ぼくたちの失敗

2020年04月16日 06時25分20秒 | 思い出の記
「あっ、この歌知っている」──高校3年生の孫娘がそう言った。
車で小さく流し聞いていたのは森田童子で、ちょうどその時流れていたのは
『ぼくたちの失敗』だった。
驚いた。
この曲は1976年に発表されたものだから、孫娘が知るはずもない歌だ。
その後、1993年にテレビドラマ『高校教師』の挿入歌となってはいるが、
それとて孫娘はまだ生まれてもいない。
どうやら友人との間で『高校教師』が話題となり、
それでこの曲に行き着いたのかもしれない。
          
   シンガーソングライターの彼女の曲は、もの悲しく沈鬱でさえある。
   メロディーもそうだし、声質もそう。
   彼女が書いた詞には『死』『血』『薬』などが幾度も出てきて、
   自死を誘うかのようでもある。
   髪はチリチリにしたカーリーヘア、それにサングラスという独特の風貌。
   加えて決してテレビにもマスコミにも出ない神秘性。

森田童子が登場したのは全共闘運動が挫折して少し経った頃。
彼女は決してメジャーな存在ではなかったが、その歌は全共闘世代の
心情、挫折感に寄り添うものとして一部ではカリスマ的な人気だった。
日本の学生運動と青春と恋をテーマにした
ミニシアター映画『グッドバイ』にも楽曲が使われている。
そうとあって学生活動家に熱烈なファンが多かった。
実際、彼女は彼らと盛んに交流していたと言われる。

   全国の大学で学生運動が燃え盛り始めたのは、
   僕が4年生だったので1960年代中頃ではなかったか。
   僕が通った大学も学生会館の運営を巡って学生自治会と大学側が対立、
   遂に僕らは半年間に及ぶストライキに入り、街頭デモに繰り出しては
   機動隊の固い盾にバシッと挟み込まれたりもした。
   この頃はまだ学生活動家の象徴ともいうべき
   『ヘルメット・角材』はなかったのだが、
   やがて火炎瓶が登場し、さらに爆弾、銃器などまで使った
   武力闘争へと突き進んでいった。
   活動家のセクト間の対立も激化し、凄惨な内ゲバを繰り返した。
   それは連合赤軍による『総括』と称する仲間内のリンチ殺人、
   あさま山荘事件へと連なり、自滅するかの如く終焉したのだった。
   活動家たちは、それほど世に絶望し、はかなんでいたのか。
   ノンポリの僕には分からない。
 
森田童子を聞くと、否応なしに
何の理屈もなくいきり立った学生時代を思い出す。
彼女は2年前の4月24日、65歳で亡くなっている。
 

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