初恋の女性は、確かにあの人だった。
中学の3年間、一度も同じクラスになったことはなく、
廊下ですれ違えば、目をそらし、うつむき加減に通り過ぎるだけ。
話しかけることもできなかったし、
もちろん二人きりで顔を見ながら話したこともなかった。
遠くから眺め、ほんわりとした感情を心に置くだけの存在だった。
しかも、廊下に張り出されるテスト結果はいつも
学年で一、二を争い、書道は確か5段ではなかったか。
ちょっと大人の雰囲気を感じさせる、そんな人だった。
その人がただ一度、何の前触れもなく我が家を訪ねてきたことがあった。
実は、彼女は中学3年生の時病気のため1年間休学したため、
中学を卒業するのも、また思いがけなく同じ高校に
入学してきたのも1年遅れだった。
我が家にやってきたのは、先輩となった僕に高校入学を前に
教科書や参考書などはどう準備すればよいかと尋ねるためだったのだ。
だが、それっきりだった。
少なくとも2年間は、同じ高校に通ったはずなのに
彼女を見かけた記憶がない。思い出せないのだ。
それから20年ほど経った頃、後にも先にもこれ一度きりの
中学校の同窓会があった。
会場に入るなり背から名を呼ばれた。女性だ。
振り向けばこちらに笑顔が向いている。
誰だったか、まごついていると受付にいた女性が「○○子さんよ」と、
小さな声で教えてくれた。
長い時を刻んでの再会だった。2次会の約束もした。
なのに出際の混雑に紛れ彼女を見失ってしまった。
今だったら携帯電話ですぐに連絡が取れたろうに……。
向かい合って話せる初めての機会は、するりと逃げていった。
その後2、3度会社に電話はあった。だが、逢う約束はしなかった。
やがて職・住を他県へ移したので、彼女との細い、わずかな縁は果てた。
高校の同窓会のHPにクラスごとの集合写真が掲載されている。
この中に彼女は絶対いるはずなのに、どの人がそうなのか分からない。
「こんな顔立ちではなかったか」といった程度の記憶しかないのでは、
60年も前の女性を特定できるなんて無理な話だ。
元気ですか。
どうしていますか。
どこにいるのですか。
彼女はなかなか現れてくれない。