高村光太郎に問いたい。
傘寿を迎えようとする者に対しても、
「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」
そうおっしゃるのであろうか。
彼の代表作の一つである『道程』という詩に初めて触れたのは、
中学の国語の授業でだった。
この『道程』はもともと102行あるのだが、
教科書などにはそれを圧縮・改訂した9行の作が用いられることが多い。
そして、その最初の2行は誰もが諳んじるほどの名句として知られる。
だから授業は、この2行に込められた思いを
どう解釈するかといったことを主に進められ、結果、先生は
「新たな、険しい道を切り開くには、それに立ち向かう勇気を
持たなければなりません。この詩はその決意を謳い上げたものです。
皆さんはまさに、新たな道へと歩み出そうとしている人たちです。
勇気をもって自分の進むべき道を切り開いていってください」
そう教え、促されたのである。
作者の思いはもう少し深いものがあるのだろうが、
多感な年頃の中学生にはきわめて分かり易く、胸に響く解釈だった。
だけど、80歳にもなろうとする今、
また新たな道を切り開き、歩み続けなければならないのか。
いささかきつい。
精気にあふれ、あの2行が胸に染みた中学生の頃とは、もう違うのだ。
「自分の進むべき険しい道を切り開け」と言われても、
それは重きに過ぎる。
道が険しいほどに、それを切り開いた時の喜びは
ひと際大きくなるのも確かだろう。
5年前、四国に4泊5日の車中泊に出かけた際、
国道474号線を走った。
その道は国道ならぬ、まさに〝酷道〟だったのだ。
いわゆる1・5車線の狭い山道が
標高1000㍍の峠までくねくねと続き、
常に対向車に注意を払わなければならなかった。
しかも右側にガードレールはほとんどなく、
反対側は側溝とあって少しの間も気の抜けない険しい道だった。
だが、そこを抜けるとエメラルドブルーの水面と
それに紅葉が映える見事な面河渓の景観が迎えてくれたのだ。
もちろん『道程』の〝道〟と、この国道とを並べて論じるのは
まったくナンセンスであるが、
〝険しさ〟を乗り越えた先の喜び、そこは共通する。
でも、繰り返すがそんな〝険しさ〟を
今また乗り越えなければならないのか。
老年医学・精神科医の和田秀樹さんは自著『80歳の壁』の中で、
「嫌なことは我慢せず、好きなことだけする。それが寿命を伸ばすコツ」
だと言っている。
光太郎も相槌を打ってくれまいか。
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