Toshiが行く

日記や趣味、エッセイなどで描く日々

2022年07月15日 06時00分00秒 | 思い出の記


    高村光太郎に問いたい。
    傘寿を迎えようとする者に対しても、
   「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」
    そうおっしゃるのであろうか。

彼の代表作の一つである『道程』という詩に初めて触れたのは、
中学の国語の授業でだった。
この『道程』はもともと102行あるのだが、
教科書などにはそれを圧縮・改訂した9行の作が用いられることが多い。
そして、その最初の2行は誰もが諳んじるほどの名句として知られる。
だから授業は、この2行に込められた思いを
どう解釈するかといったことを主に進められ、結果、先生は
「新たな、険しい道を切り開くには、それに立ち向かう勇気を
持たなければなりません。この詩はその決意を謳い上げたものです。
皆さんはまさに、新たな道へと歩み出そうとしている人たちです。
勇気をもって自分の進むべき道を切り開いていってください」
そう教え、促されたのである。
作者の思いはもう少し深いものがあるのだろうが、
多感な年頃の中学生にはきわめて分かり易く、胸に響く解釈だった。

        

だけど、80歳にもなろうとする今、
また新たな道を切り開き、歩み続けなければならないのか。
いささかきつい。
精気にあふれ、あの2行が胸に染みた中学生の頃とは、もう違うのだ。
「自分の進むべき険しい道を切り開け」と言われても、
それは重きに過ぎる。

道が険しいほどに、それを切り開いた時の喜びは
ひと際大きくなるのも確かだろう。

5年前、四国に4泊5日の車中泊に出かけた際、
国道474号線を走った。
その道は国道ならぬ、まさに〝酷道〟だったのだ。
いわゆる1・5車線の狭い山道が
標高1000㍍の峠までくねくねと続き、
常に対向車に注意を払わなければならなかった。
しかも右側にガードレールはほとんどなく、
反対側は側溝とあって少しの間も気の抜けない険しい道だった。
だが、そこを抜けるとエメラルドブルーの水面と
それに紅葉が映える見事な面河渓の景観が迎えてくれたのだ。
もちろん『道程』の〝道〟と、この国道とを並べて論じるのは
まったくナンセンスであるが、
〝険しさ〟を乗り越えた先の喜び、そこは共通する。

     

でも、繰り返すがそんな〝険しさ〟を
今また乗り越えなければならないのか。
老年医学・精神科医の和田秀樹さんは自著『80歳の壁』の中で、
「嫌なことは我慢せず、好きなことだけする。それが寿命を伸ばすコツ」
だと言っている。
光太郎も相槌を打ってくれまいか。


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