Toshiが行く

日記や趣味、エッセイなどで描く日々

心を解く

2020年07月13日 15時51分11秒 | 思い出の記
           阿蘇の放牧馬


    小学6年生が、担任教師に抱いた理不尽さ。
    その思いを70年ほども持ち続けてきた。
    だが、その先生はすでに亡い。
    もう心を解いたらどうか──自分の胸にそう呼びかける。

6年生の1学期だった。仲の良いクラスメートが突然転校するという。
4年生の時からずっと同じクラスであり、そのまま肩を並べて卒業する、
そんな思いが消えた無念さ、そして寂しさに目が潤んだ。
同じように仲が良かった他の4人と話し合い、
何か送別の贈り物をしようということになった。
それぞれ1人50円の小遣いを出し合い、計250円を持って
皆でデパートへ行った。もちろん放課後のことである。
            
    「じゃ、明日渡そうな」と言って、それぞれ帰りかけた時である。
    帰宅途中の担任の先生とばったり出会ったのだ。
    「お前たち、ここで何をしているのだ。早く帰らんか」。
    学生時代、柔道で鍛えたがっしりした体格。
    その有無を言わせぬ物言いに一言の言い訳もできなかった。

それだけでは済まなかった。翌朝、「昨日の5人。後ろに並んで立て」
──もちろん僕らのことだ。おずおずと教室の後ろに立つと、
軍隊映画でよく見るように、端から順に往復びんたが飛んできた。
弁明は一切許さず、なぜかの理由も言ってくれない。
さらに屋上に連れていかれ、授業の間中コンクリートの上に正座させられた。
「転校していく友人に贈り物をするのは、そんなにいけないことなのか」
「なぜだ」「どうしてなんだ」心に呟きながら涙をぼろぼろと流し続けた。
           
    そんな思いを消すことなく古希を迎えた。届いた同窓会の案内状には
    「○○先生をお招きして」と書き添えてあった。
    瞬間、破り捨ててしまうおうかとさえ思った。だが、止めた。
    転校していった彼も特別に招いたら、ぜひ出席したいとの意向だという。
    その彼に呼ばれるように同窓会へと出かけて行った。

先生もいた。だが、言葉はまったく交わさなかったし、側に寄りもしなかった。
ただ、「先生も80を過ぎたか。随分爺さんになったなあ」そんな思いだけだった。
それから3年後。その年の同窓会には先生は来られなかった。
体調がすぐれないのだという。
それで、お見舞いを兼ねてご自宅を訪ねることになった。
「俺はやめておく」というわけにもいかず、同級生の後ろをついていった。
車いすの先生。往復びんたを見舞った時の面影は、消えてしまっていた。
亡くなったのはその翌年だ。

      あの頃、先生は若く、経験も浅かった。
      卒業後の先生を知る由もないが、
      きっと立派な教師に成長されたことだろう。
      もう、いいではないか。頑なだった自分自身を許すことにした。

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5 コメント

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Unknown (k_funaki_love)
2020-07-13 09:25:43
おはようございます。
「もういいではないか…」
胸に滲みました。
頑なだった自分が愛おしいですねー。
語彙足らずですみません。
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Unknown (案山子(^^)😸🍀)
2020-07-13 10:46:55
🗽


胸ぐらつかまれ 往復ビンタ


中学一年の 担任の先生👩‍🏫から


自宅の物置で されました


高校二年の 林間学舎で


全クラスの代表で 体育教師から


されて 吹っ飛びました


どちらも 女の先生でした


中三の同窓会は 今も開いてます


高校は 学校主催の同窓会が


毎年 盛大に開かれてます


もちろん 喜んで 参加していますが


ビンタを お見舞いしてくださった


両 先生は ご招待しても


お見えにならない


こちらのブログを 拝読し


会いに行ってみたくなりました (^^)


ビンタのエピソードは


自身のブログへ いつか 😸



心を解く 難解な問題ですが


大切な 学びだと おもいます🍀


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Unknown (Toshiが行く)
2020-07-13 16:12:05
案山子さん コメントありがとうございます。人には学校時代のいろいろな思い出がありますね。僕の時代は、先生から叩かれたなんてことを親に言おうものなら、逆に親から叱られたものです。「先生に叱られるお前が悪い」なんて言われましてね。だから自分1人で泣いていました。怒られる理由が分からないのが辛かったんですね。
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Unknown (Toshiが行く)
2020-07-13 16:15:28
k_funaki_loveさん こんにちは。実は、先生もその件について少々気に病んでおられたようです。後日聞いたことなんですが。それもあり、「もういいのではないか」と思い始めたわけです。
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Unknown (chiyo6213)
2020-07-14 08:35:29
先生の思い出はいろいろ人生を教わった嬉しい思い出ばかりでーす。バレー部バレーボール部です。バケツで水かけられたり・雪の日に裸足でグランド走らせられたり、体育館で正座させられたり、ウサギ跳びさせられたり辛い事もありましたが何故かこの先生とは去年90歳で亡くなるまで毎時みーんなで先生の家に寄りもちよりごはんでワイワイして去年見送りました(^。^)私も80 歳になります。懐かしいですねーー〜
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