誰もいない、はず。が、もう一度部屋中を見回す。
この家の中学3年生、15歳の男の子が
ちょっとした〝悪事〟を働こうとしているのだ。
居間の片隅に置かれている火鉢、
その中に突っ立っている父親の吸いさしを狙っている。
父も母も、姉も出かけていることを確かめ、
「よし」と意を決して盗み取った。
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台所から持ってきたマッチをする。
咥えたたばこに火をつける。
すーっと吸い込む。
と、途端にむせた。「ごほ、ごほ、ごほ」咳が止まらない。
涙も出てくる。
罰を受けたような気分であわてて火鉢に戻した。
いたずら盛りの、ちょっとした冒険心であり、
一吸いだけの〝悪事〟が僕のたばこの喫い初めであった。
そんな、ろくでもないたばこに、なぜ取りつかれてしまったのか。
一つには「たばこは大人の証し」と見えたからである。
実際、ほとんどの大人が喫っていた。
「大人には、たばこは当たり前のこと」と思えば、
なんのためらいもなかった。
たばこ代も自分で稼ぐ。日に1箱20本は普通で、
さらに仕事で緊張を強いられた時、
あるいはテンション高く楽しみたい酒の席などでは、
2箱40本が灰となって消えた。
〝百害あって一利なし〟とばかりに喧伝され、
大っぴらに喫える場所さえ限られてしまった今日とは大違いで、
オフィス内でも堂々と喫えた、
喫煙者にとっては実に良き時代だったのである。
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だが、その〝中毒性〟ゆえに長年喫い続けることになる。
すると、やはり「百害……」が現実のものになってくる。
しかも年を重ねるごとに、そのダメージは大きくなる。
歯磨き時の吐き気など、あれやこれや不快感が増すばかり。
それで、「よしっ」と禁煙に挑戦してはみても、
やはり〝中毒性〟は難敵で日を置かず失敗する、
それの繰り返しだった。
そんな僕に有無を言わさぬ口調でとどめを刺したのが、
かかりつけの女医さんだった。
「血圧は高いし、不整脈も出ている。
それなのにたばこですか。おやめなさい」
誓約書を書かされ、薬を渡された。
さらに、ちゃんと禁煙しているかどうか定期的にチェックされる。
そんな苦行を1カ月ほど続け、なんとか禁煙に成功したのだった。
あれから11、2年である。
それでも、その誘惑はいまだに悩ましい。
どこからか漂ってくる香りが、後悔交じりの思いにさせる。
だが、「プライドが許さない」そう粋がるほどに余裕しゃくしゃく、
その実、半ば恨めし気に誘惑をはねつけるのである。