【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

百年に一度/『時間のない国で(上)』

2009-08-01 07:01:35 | Weblog
 今は百年に一度の経済危機なんだそうですが、私の父親に言わせると、敗戦前後のときの方がよほどシビアで生死にかかわる経済状況だったぞ、どこの百年なんだ? だそうです。きっとアメリカの百年なんでしょうね。

【ただいま読書中】
時間のない国で(上)』(原題 THE NEW POLICEMAN) ケイト・トンプソン 著、 渡辺庸子 訳、 東京創元社、2006年、1700円(税別)

 音楽がたっぷり散りばめられた小説です。舞台はアイルランド。学校、パブ、農場での小さなエピソードが描写され、その断片ごとにそのエピソードにちなんだ一枚の楽譜(アイルランドのトラディッショナル)が重ねられます。これらの小曲、最初はなぜかニ長調の小曲ばかりが続きます。シンプルなメロディラインなのですが、不思議な雰囲気です。始まりと終りがあるようでないようで、はっきり長調とか短調とかに別れているわけでもなく、私はルネサンス期の舞踊曲を連想しました。
 主人公の中学生JJリディはいつも時間がなくて忙しい思いをしています。それはJJだけの問題ではありませんでした。みんな時間が足りなくていつも何かに追われているようにあるいは何かを追いかけているように、脇目もふらずに奔走する生活をしていたのです。JJが喧嘩していた友人と和解したとき、イ長調の「和解のダンス曲」が登場します。
 JJは優秀なフィドル奏者です。フィドルだけではなくてフルート・ハーリング・アイリッシュダンスなどでも賞を次々獲得する実力を持っています。きわめて優秀な音楽一家の一員なのです。しかし、そのアイルランド音楽には「敵」がいました。キリスト教会です。土着の音楽は土着の信仰(たとえば妖精など)と結びついており、それはキリスト教から見たら破壊するべきものだったのです。JJの先祖には、そういった教会との戦いや、不思議な物語がつきまとっていました。そしてJJは、地下壕の壁を通って、永遠なる若さの国「ティル・ナ・ノグ」へ導かれます。そこでは時間はくさるほどあって、JJは好きなだけ持って帰って良い、と言われます。ただし代償は、誰も知らない、でもとても有名な曲「ダウドの9番」。さらに困ったことに、時間をどうやって持って帰るのかも誰も知りません。
 「ティル・ナ・ノグ(別名、妖精の国)」は不思議な国です。時計の針はなかなか進みません。健康な人は健康なまま病気にならず、病人は病人のままです。人々は「今」を生きることしか知らず、したがって「不安」というものを理解しません。
 アイルランド側の新米警官ラリーは、フィドルの名手で、自分の名前さえ忘れるという不思議な人間です。露骨に「生きている伏線」です。
 そしてとうとう、二つの世界の問題がわかります。本来なら別々に存在しているはずの二つの世界が接触し、アイルランドから妖精の国に時間(と音楽)が漏れ出しているのです。だからJJたちはどんどん時間が足りなくなって困っているし、妖精の国では本来なかった時間が存在することになって困っているのです。
 いやもう、笑っちゃいます。『モモ』では時間泥棒が登場してまるでもののように時間を盗んでいくという発想に大笑いしましたが、ここでは「自然現象」として時間が減ってしまうのです。そんなの、アリですか?

 本書で私が一番気に入った曲は「犬の大きな鳴き声(The Big Bow-wow)」です。途中に本当に犬の鳴き声のような動きのある小節が挟まっていて、これを演奏したり踊ったりしていた人たちは、この部分で笑い転げるんじゃないかな、と想像できます。