パソコンの調子が悪くなって修理に出しました。修理窓口では先客が話をしているので、順番札を取ってその後ろで待ちます。他にすることもないので先客の様子を見ていると、デジタルカメラの修理を依頼している様子。ところが店員の対応が変。カメラの調子が悪いことは悪いのでしょうが、どうも使い方も全然わかっていない様子で、カメラの構え方とかパソコンとのつなぎ方とか付属のCDのどれをどう使うのかとか一つ一つ確認しています。
お~い、使い方の説明は、修理窓口ではなくて買うところで聞いておいてよ。私の用は30秒ですむのになあ。
【ただいま読書中】
『海の上のピアニスト』アセッサンドロ・バリッコ 著、草皆伸子 訳、白水社、1999年、1200円(税別)
映画の予告編で見て気になっていたのに見逃してしまったのでますます気になっている作品でした。この原作は一人芝居の脚本です。登場するのは「海の上のピアニスト」の親友、楽団のトランペット吹き。ただし、ときに「海の上のピアニスト」の代弁者となることもあります。
1900年、大西洋航路に就航していた、ちょっと癖のある船ヴァージニアン号でダニー・ブードマン・T・D・レモン・ノヴェチェントは生まれ、捨てられました。発見した船員は船内で彼を育てることにします。(名前の「ノヴェチェント」はイタリア語で「900」の意味で、1900年生まれだからだそうです)
長じたノヴェチェントは、ピアノに天才を示します。普段はすばらしいジャズ・ピアニスト。指揮者が「普通の音を弾いてくれ」と頼みノヴェチェントが自分を抑えて「普通の音」を弾いている限りは。しかしときにノヴェチェントは自分を押さえきれなくなります。そのときの音楽は、地上のすべてを含む、物理法則さえ超えたこの世のものとは思われないものでした。ノヴェチェントのうわさを聞いて音楽勝負を挑んできた全米一のジャズ・ピアニストを再起不能になるくらいに打ちのめしてしまうくらいの。
ただし、彼がピアノを弾くのは海の上だけ。陸が見えるところではピアノには触れません。「陸地のにおいがしないところ」でないと、弾く気になれないのです。それどころか、彼は生まれてこの方、船から下りたことがありませんでした。トランペット吹きはノヴェチェントに尋ねます。どうして船からおりて、世界に出て行かないんだ?
このあたりから、楽しいほら話の雰囲気が転調します。
32歳になって、ノヴェチェントはついに「下りる」決心をします。しかし、タラップを下りはじめて三段目、彼の足は止まります。
「ピアニスト/船」と「私たち/住んでいる世界」とは対応しています。「生まれてこの方、下船したことがないピアニスト」を笑ってみている私たちも、実は「自分が安住している世界」から「下り」ていないのではないか、と著者は問いを突きつけているようです。ノヴェチェントは、船を訪れる人たちから「世界」を読み取りそれを自分の音楽に表現しています。それと同様に私たちも「自分の世界の外側」の「情報」だけを得ることですべてを知っているつもりになっているのかもしれません。訳者あとがきでは「わたしたちは、世界の大きさに敢然と立ち向かう勇者なのか、それとも世界の大きさに気づきもしない愚か者か?」とありますが、私には「勇者か、それとも世界の大きさに気づいてしり込みしている臆病者か?」に思えました。さて、私が乗っている「船」は今どこを航行しているのでしょうか。
お~い、使い方の説明は、修理窓口ではなくて買うところで聞いておいてよ。私の用は30秒ですむのになあ。
【ただいま読書中】
『海の上のピアニスト』アセッサンドロ・バリッコ 著、草皆伸子 訳、白水社、1999年、1200円(税別)
映画の予告編で見て気になっていたのに見逃してしまったのでますます気になっている作品でした。この原作は一人芝居の脚本です。登場するのは「海の上のピアニスト」の親友、楽団のトランペット吹き。ただし、ときに「海の上のピアニスト」の代弁者となることもあります。
1900年、大西洋航路に就航していた、ちょっと癖のある船ヴァージニアン号でダニー・ブードマン・T・D・レモン・ノヴェチェントは生まれ、捨てられました。発見した船員は船内で彼を育てることにします。(名前の「ノヴェチェント」はイタリア語で「900」の意味で、1900年生まれだからだそうです)
長じたノヴェチェントは、ピアノに天才を示します。普段はすばらしいジャズ・ピアニスト。指揮者が「普通の音を弾いてくれ」と頼みノヴェチェントが自分を抑えて「普通の音」を弾いている限りは。しかしときにノヴェチェントは自分を押さえきれなくなります。そのときの音楽は、地上のすべてを含む、物理法則さえ超えたこの世のものとは思われないものでした。ノヴェチェントのうわさを聞いて音楽勝負を挑んできた全米一のジャズ・ピアニストを再起不能になるくらいに打ちのめしてしまうくらいの。
ただし、彼がピアノを弾くのは海の上だけ。陸が見えるところではピアノには触れません。「陸地のにおいがしないところ」でないと、弾く気になれないのです。それどころか、彼は生まれてこの方、船から下りたことがありませんでした。トランペット吹きはノヴェチェントに尋ねます。どうして船からおりて、世界に出て行かないんだ?
このあたりから、楽しいほら話の雰囲気が転調します。
32歳になって、ノヴェチェントはついに「下りる」決心をします。しかし、タラップを下りはじめて三段目、彼の足は止まります。
「ピアニスト/船」と「私たち/住んでいる世界」とは対応しています。「生まれてこの方、下船したことがないピアニスト」を笑ってみている私たちも、実は「自分が安住している世界」から「下り」ていないのではないか、と著者は問いを突きつけているようです。ノヴェチェントは、船を訪れる人たちから「世界」を読み取りそれを自分の音楽に表現しています。それと同様に私たちも「自分の世界の外側」の「情報」だけを得ることですべてを知っているつもりになっているのかもしれません。訳者あとがきでは「わたしたちは、世界の大きさに敢然と立ち向かう勇者なのか、それとも世界の大きさに気づきもしない愚か者か?」とありますが、私には「勇者か、それとも世界の大きさに気づいてしり込みしている臆病者か?」に思えました。さて、私が乗っている「船」は今どこを航行しているのでしょうか。