【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

野球界

2011-01-18 18:43:01 | Weblog
野球の世界は、プレイヤーと客とスポンサーとその他の人間から構成されています。で、たとえば日本のプロ野球で、一番大切にされているのは誰でしょう。少なくとも観客ではなさそうですし、選手会は自分たちの扱いに対して不満をよく言っています。ということは、一番大切にされているのは、もしかして、スポンサーと協会などの「その他の人間」?

【ただいま読書中】『エンダーのゲーム』オースン・スコット・カード 著、 野口幸夫 訳、 早川書房、1987年(2008年15刷)、1000円(税別)

短編(77年)ではなくて、長編の方の作品です。
地球は「バガー」と呼ばれる異星人との戦争にあえいでいます。危うく大敗北するところだったのを、一人の英雄のおかげでかろうじて生きのびることができましたが、その英雄もすでにいません。そこで「国際艦隊」はバトル・スクールを作ります。見込みのある子供を集めて指揮官に要請しよう、と。そこに徴募された子供たちの中に、6歳の少年エンダーがいました。
見かけが弱っちく、しかし生意気で、しかも頭がよくて教官受けがいい。こんな少年がどんな目に遭うかと言えば、孤立といじめです。しかしエンダーはバトル・ゲームで少しずつ頭角を現し、3年で自分の「地位」を確立します。「達人兵士」として。イジメはなくなりました。エンダーは尊敬される存在なのです。しかし、孤立は変わりませんでした。以前は嫌われることによる孤立、そして今は敬意に包囲されての孤立。軍の上層部はそれを「権力の孤独」と呼びます。
エンダーに与えられる課題は厳しさを増します。戦力は不平等となりルールはねじ曲げられます。エンダーはそれを次々突破しますが、周囲の者はエンダーが用いた戦略を模倣します。限界を感じたエンダーはついに、人類ではなくてバガーの戦略を研究するようになります。そして、ついにストレスが限界になった瞬間、エンダーは2年も早くバトルスクール卒業を申し渡され、3年のプレ・コマンドをすっ飛ばして直接コマンドスクールに転属となります。
「自分を傷つけようとする相手を止めるためには、それも二度と自分を傷つける気を起こさないように止めるためには、どんな手があるか」というテーマが何度も登場します。エンダーは6歳のときからその問題を自力で解かねばなりませんでした。そしてそれは「対バガー戦役」にまっすぐつながっていきます。さらにそこに深みを与えるのが、短編には存在しなかった、エンダーの兄と姉です。この二人の性格がまた複雑で(それなりに)まっすぐ。しかも天才。「子供だよね」と何度も確認したくなります。そしてこの3人の人間関係(あるいは関係の不在)が、エンダー自身の行動の“補助エンジン”となって、ぐいぐいと物語をドライブしていきます。
コマンドスクールでもエンダーが行なうのは「ゲーム」です。はじめは戦闘機の操縦。ついで、編隊の指揮。ゲームは少しずつ難しくなり、とうとう艦隊指揮のシミュレーションゲームが始まります。その時エンダーの手足となって動く編隊リーダーたちは、皆バトルスクールからの顔なじみでしたが、バトルスクールでと同様に「ゲーム」はどんどん厳しく不公正になっていき、エンダーたちは消耗します。そして、最終考査でシミュレーター上に登場した「バガーの艦隊」は、戦力差が1:1000。今までと同様、フェアプレイ精神などかけらもない設定です。そこでエンダーは……
最終章のタイトルは「死者の代弁者」です。ああ、続編があるんだな、と最初に読んだときには思いましたが、まさか“あんな形”になるとは思いませんでしたっけ。