【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

たち

2011-05-11 19:01:46 | Weblog

 最近よく「私たちにできること」という言葉をあちこちで目にします。その内容はおいておいて、今日は言葉について。私にとっては「私」と「私たち」とは別のものです。したがって「私にできること」と「私たちにできること」も別のものを考えます。個人でできることは「私」(あるいは「あなた」)がするし、個人ではできなくても複数の人間だったらできることは「私たち」(私とあなた)ですればいいのですから。
 そういった区別をきちんとせずにただただ「私たちにできること」と言う人間は、「私(個人)という概念を持っていなくて常に私たち(複数形)で世の中を捉えている」「私個人では努力をしない、と決心をしている」のどちらか、ということなんでしょうか?

【ただいま読書中】『夜想曲集 ──音楽と夕暮れをめぐる五つの物語』カズオ・イシグロ 著、 土屋政雄 訳、 早川書房、2009年、1600円(税別)

目次:「老歌手」「降っても晴れても」「モールバンヒルズ」「夜想曲」「チェリスト」
 ヴェネチアでフリーのギタリストをしているヤネクはかつて共産主義(今は民主主義)の国に育ちました。ヤネクの母はトニー・ガードナーというアメリカの歌手の大ファンでしたが、ある日その本人が客としていることにステージのヤネクは気づきます。演奏がすんだヤネクは思わず話しかけます。母がスターとして崇拝していた人がどんな人か、と。そして、思わぬ成り行きでヤネクは、トニーとその妻との複雑な物語へと巻き込まれていくのです。(「老歌手」)
 ロンドンに住む大学時代の親友夫婦のところへスペインから訪問をしたレイは、二人が夫婦の危機にあることを知ります(そういえば「老歌手」の夫妻も危機にありましたっけ)。スラップスティックのような場面があり、そしてなんとか解決の場面へ……だけど、このほのぼの感は一体なんでしょう。中年の男女が大学時代の思い出にふけりながら純情な三角関係の真似をやってみたって所?(「降っても晴れても」)
 ミュージシャンになろうと大学をやめたのに、バンドのオーディションにはことごとく失敗した「ぼく」は、田舎で姉夫婦がやっているカフェで一夏を過ごしてそこで曲を書きためることにします。そこにスイス人夫婦が観光にやってきますが、明らかに訳ありの様子です。二人は音楽家でした。二人と「ぼく」との会話には、爽やかな風が吹いています。穏やかなイギリスの田舎の風、美しいスイスの風、それが三人の音楽センスにたわむれながら二人の“秘密”を少しずつ明らかにしていきます。(「モールバンヒルズ」)
 独特の才能を持つテナーサックス奏者のスティーブは、マネージャーに「お前はどんくさい醜男だから売れないんだ」と説得され、妻には捨てられ、とうとう美容整形手術を受けます。ところがここに意外な登場人物(第一話でちょっとだけ登場した人)が。深夜のホテルでの“冒険”には、あきれて笑うしかありません。(「夜想曲」)
 そして「チェリスト」で舞台はまたイタリアに戻ります。特別な才能を持つチェリストが、やはり特別な才能を持つ音楽家によって育てられようとする……のですが……
 本書は「音楽」が主題ですが、それ以外にも「男女間の危機」「ノスタルジア」が目に見える「主題」として取り上げられ、それぞれの短編でその「変奏」が奏でられます。ただ、私が「通奏低音」として本書を貫いているように感じたのは「ストレンジャー(「今」「ここ」が自分のいるべき場所である、という確信を欠いた人)の物語」です。私がカズオ・イシグロを読むのは本書が初めてですが、日本生まれイギリス育ちの人なんですね。もしかしたらそういった生い立ちが作品のどこかに響いているのかもしれない、と思えます。
 ともあれ、魅力的な短篇集でした。他の本もそのうちに読んでみたいものです。ただ、私がよく行く図書館ではこの人に作品には予約がぎっしり。う~む。