【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

教育

2011-05-12 18:50:00 | Weblog

 誰かに何かを教えた場合、その“生徒”が教えられたとおりのことを正確に繰り返している場合と不正確にしか繰り返せない場合と、どちらが“教師”としては好ましい状態でしょう。もちろん前者でしょうが、もしも生徒が自分の頭で考えて答えようとしているのだったら、後者の方が望ましいと言えるかもしれません。「他人の言葉のデッドコピーしか言えない人間」を“教えて育て”てもしかたありませんから。

【ただいま読書中】『バルジ大作戦』ジョン・トーランド 著、 向後英一 訳、 早川書房、1966年、580円

 1944年12月15日、ドイツとベルギー・ルクセンブルク国境のアルデンヌ戦線は静かでした。連合軍はここでは何も起きないと踏んで、新兵中心の師団と戦い続けてボロボロになった師団とを守備に張りつけていました。しかし戦線の東側では「ラインの守り」作戦が発動しようとしていました。戦車師団12と歩兵師団18を一挙に投入して戦線を幅広く突破し、一週間でアントワープに達する(その途中で米英の30個師団を壊滅させる)というヒトラー個人が立てた作戦です。
 最初の48時間は大混乱でした。ヒトラーの意図が読めず、連合軍は混乱して対応が遅れますが、ドイツ軍も様々な“事故”で、侵攻が遅れます。可哀想なのはフォン・デル・ハイト男爵の空挺部隊です。105機での降下のはずがいつの間にか10機だけになり、まるで連合軍の「遠すぎた橋」のような立場に置かれてしまうのですから。
 連合国軍は“予定”を変更して、使える部隊を次々投入します。明らかに準備不足ですが仕方ありません。混乱の中で同士撃ちも発生します。しかしドイツ側にも弱点はありました。燃料不足です。戦車隊によっては、燃料が切れる直前にアメリカ軍からガソリンを奪ってそれで戦闘を継続したものもあったくらいです。それと、時間。拠点を一日でも早くしっかりと確保しなければ、伸び続ける戦線は弱点だらけなのです。
 12月21日になって、やっと戦線の形がはっきりしてきます。「突出部(バルジ)」です。しかしその北西部にアメリカ軍の“指”が一本、突きつけられていました。サン・ヴィットの守備隊です。ドイツ軍はこの目障りな部分を取り除きにかかります。サン・ヴィットの町は燃え上がりますが、米軍は町から撤退してもその背後にすぐ防衛戦を敷きます。
 もう私にはおなじみとなった米と英(ルーズヴェルトとチャーチル、アイゼンハウアーとモントゴメリー)の主導権争いも当然ありますが、本書で面白かったのは、少将の部隊を指揮する羽目になってしまった准将のお話です。自分より階級が上の人に命令するって、とってもやりにくそうです。
 クリスマスに「ラインの守り」作戦の運命が決せられます。ドイツ軍の進撃は主にガス欠で鈍り、北部戦線の指揮者であるモントゴメリー将軍の慎重主義と“バランス”が取れます。そして……
 本書ではイギリスの指揮官モントゴメリーが酷評されています。攻勢に出るべき時にどっしり腰を据えて軍の再編成ばっかりやっている、と。もっともモントゴメリーにはモントゴメリーの言い分(どうしようもなく混乱したアメリカ軍に秩序を与えて救ってやった)があるのですが。
 ヒトラーは自分の“失敗”を素直に認めません。責任は他人、自分はその失敗から多くのものを救う英雄です。アルデンヌに連合軍の大勢力を“引きつけた”から他が手薄になっている、そこを狙って予備兵力をぶつける、という素敵な計画「北風作戦」が大晦日の夜に発動されます。いかにも後付けの作戦ですけれど。
 モントゴメリーと米軍との亀裂が決定的になろうとしていた頃、ヒトラーは撤退を許可します。“現実”には勝てなかったのです。バルジの戦いが終わって3箇月半後にドイツは降伏しました(つまり本書は「最後の百日」の“前編”です)。バルジの戦いがなくてドイツがジークフリート線に立てこもっていたら、戦争はもっと長く続いていたでしょう。
 そういえば、機甲師団同志の遭遇戦はドイツ東部戦線では何回も繰り返されましたが、西部戦線ではこのバルジ作戦の時だけだったそうです。だから連合軍は“不慣れ”だったんですね。
 そうそう、本書にはヤルタ会談襲撃計画(空挺部隊による落下傘降下)も登場します。もしこれが成功していたら歴史が大きく変っていたかもしれません。ドイツの軍事的敗北は変らないでしょうが、冷戦の形が変ることで。