人が「過去」とつながっている証拠。
【ただいま読書中】『デザインの教科書』柏木博 著、 講談社現代新書2124、2011年、720円(税別)
私たちの生活に「もの」が豊富に入り込むようになったのは、高度成長期からのことです。それを批判する人は多いのですが、「ものそれ自体」を批判しても、あまり多くの意味は得られない、と著者は述べます。むしろ「ものの扱い方」に注目した方が良い、と。なぜなら、人それぞれの生活の仕方と人柄が現われるのは「ものの扱い方」にですから。著者にとっては「ものの扱い方」=「デザイン的な行為」なのです。
たとえば「棚の上のものを取るために椅子に立つ」行為では、「椅子」はデザイナーが意図した「デザイン」では使われません。生活者が椅子を「踏台」として機能させているのです。
著者が重視するのは「居心地の良さ」です。たとえば住居に人は多くのものを持ち込みます。その主目的は、その家を自分にとって心地よくするため。逆に、最小限の空間で心地よい「最小限住宅」という実験的なデザインの試みもあります。この場合には、ただの小さな空間を「人が住む住居」にするためにはどのくらいの最低限の家具を置けばよいのか、が問題となります。
レヴィ=ストロースは「現代のデザイナーは、概念を出発点としている」と指摘していますが、その対極が『野性の思考』の「器用仕事(プリコラージュ)」でしょう。こちらの出発点は「身近にある素材」です。意図的に、プリコラージュ的なデザインを行なうのも、また面白い結果が得られるでしょう。「制限」があればそこには当然「工夫」が必要で、その「工夫」こそが「デザイン」なのですから。
エコロジーに関しては、ガダリの「エコゾフィー」(環境のエコロジー/社会的エコロジー/精神的エコロジー)が紹介されます。デザインは、技術/コスト/市場などを考慮する必要がありますが、それに加えて「3つのエコロジー」も考える必要がある、と。
「もの」を変更することで人の思想を変えることは可能です。『悲しき熱帯』(クロード・レヴィ=ストロース)には、宣教師がボロロ族の伝統的な同心円状の家並みをグリッド状に変更させることで彼らの改宗に成功したエピソードがあります。ものと人は密接な関係を持っているのです。モダンデザインもまた「ライフスタイル」を提案することで、人を変えようとします。「もののデザイン」は「ものと人の関係のデザイン」でもあります。そして、もしかしたら、「人と人の関係のデザイン」でさえあるのかもしれません。