徹底的に英語を鍛えるためだったら、学校教育から「英語の時間」をなくす必要があります。そのかわり「すべての授業」を英語でやるの。数学も社会も理科も音楽も習字も道徳もね。
あ、国語はどうしましょう。やっぱり英語で教えてもらいます?
【ただいま読書中】『踏み絵』島田孝右・島田ゆり子 著、 雄松堂出版、1994年、3000円(税別)
江戸時代の踏み絵は、切支丹あぶり出しのために行われているもの、と思っていましたが、なんと外国人に対しても行われていました。『ガリバー旅行記』(スウィフト)には、商売のために踏み絵をするオランダ人を風刺するシーンが登場しています。著者は踏み絵を扱った英語資料をなんと5500も収集し、それをもとに本書を書いています。
イギリスは、平戸に商館を構え、一時(1613-23)貿易を行っていました。「夢よもう一度」で1673年イギリス東インド会社のリターン号が国王チャールズ二世の手紙を携えて長崎に入港します。このとき長崎奉行は、通詞やオランダ人を同伴させてリターン号に向かいますが、踏み絵道具を持参していました。船上での踏み絵です。サイモン・デルボー船長の日記には踏み絵の記載はありません。日本側の記録「通航一覧」巻二五三には、イギリス船員86人が踏み絵をしたと記録されています。オランダ商館長日記にもイギリス人が踏み絵をしたと書かれています。
ということは、オランダ人の踏み絵を風刺していたイギリス人も実は踏み絵をしていた、ということになりそうです。
中国人の踏み絵の記録は鎖国初期1688年にあります。アメリカ人の記録は幕末近く、1848年です。しかし、さすがにこの“宗教行事”に対する国際的な風当たりが強くなり、1852年にオランダ商館長になったドンケル・クルチウスやハリスの働きかけで、対アメリカ・ロシア・フランスとの条約に「踏み絵禁止」の条項が加えられました。めでたしめでたし。