生物学的には、生殖能力があれば大人でしょう。社会的には「社会が求める“大人”の公的な役割」をロールプレイできるようになったら、大人と言えるのではないでしょうか。私的な立場なら「親になる」のはわかりやすい例ですし、公職的なもので江戸時代だったら「若旦那」が親の後を継いで「○代目○○衛門」などになったりしたらその瞬間から大人、とか。
ところで、21世紀の日本社会で求められている「大人の公的な役割」って、何でしたっけ? 昔のように明確なものが共通認識で存在しています? もしかしてそういったものが曖昧になっているから子供じみた要求を平気でする「モンスター○○」が増殖しているのではないかしら。
【ただいま読書中】『ルーツ(下)』アレックス・ヘイリー 著、 安岡章太郎・松田銑 訳、 社会思想社、1977年
クンタは娘のキッジーに、自分の故郷の言葉を教えます。たとえ欠片でも、自分の「ルーツ」を子孫に伝えておこう、と。奴隷反対運動が広がり、社会は騒然としてきます。独立戦争で武器の取り扱いを覚えた黒人兵が、その腕を発揮しようとリッチモンドで一揆を起こします。キッジーは売られ、白人に強姦され、ジョージを生みます。ジョージは闘鶏師となり、米英戦争が起きて終わり、また黒人奴隷の一揆があり……
ジョージの妻となったマチルダは「アフリカ人の曾祖父(クンタ・キンテ)」の話を自分たちの赤ん坊に語りかけます。二人は子だくさんでしたが、その一人トムは腕のよい鍛冶屋になります。彼が結婚した頃、「リンカンだんな」ということばが黒人たちの間で囁かれるようになります。そして南北戦争。デイビス南部大統領は、18歳~35歳の白人男性全員に3年間の志願兵を・各農園は黒人奴隷の10人に1人を無償で差し出すように命令します。そういえば「風と共に去りぬ」でも黒人奴隷が隊列を組んで戦線に向かうシーンがありましたね。
南北戦争後、奴隷は解放されました。「自由」を得た一族は開拓地に向かいます。どこに行っても「アフリカ人クンタ・キンテ」の物語を子供たちに伝えながら。そして、1921年、著者が誕生します。著者は祖母やその兄弟姉妹の古い思い出話や一族の言い伝えを聞いて育ちます。その中には「キン・テイ」がギターをさして「コー」と呼んだり農場のそばの川を「カンビー・ボロンゴ」と呼んだ話も含まれていました。それは何語なのか?を手がかりとして、著者の長い“旅”が始まります。不思議な出会いが続き、著者はガンビアに飛びます。そこで紹介されたのが「語り部(グリオット)」の存在でした。調べれば調べるほど、著者は自分がアフリカに対して無知であることを思い知ります。「暗黒大陸」なのは、アフリカではなくてアメリカ人の頭の中だったようです。やっと辿り着いたジュフレ村でグリオットの話を聞かされた著者は驚きますが、祖母の話を書き付けたノートブックの内容を知らされた村人たちも驚きます。かつて村から攫われたクンタの子孫が帰ってきたのですから。これは奇跡のような出会いだったのです。
本書を読んでいて「ルーツ」の物語としてだけではなくて、「人を奴隷扱いすること」の意味を私は深く考えました。少なくとも「奴隷にされる側」からもこの問題は見なければ、おそらくこういった問題の解決はできないことだろう、とも思っています。