今私が毎日使っているバッグは、生地は防水で水密ファスナーが使われています。つまり防水仕様。一体どうなっているんだ、とファスナーを眺めても詳しいことはわかりません。そういえばNASAの宇宙服では気密ファスナーが使われているそうですが、これも一体どんなメカニズムなんでしょうねえ。というか、ファスナーで水密・気密を保とう、と最初に思った人は、どうしてそんなことを思いついたのでしょう。
【ただいま読書中】『YKK80年史 挑戦の軌跡──そして未来へ』YKK株式会社、2014年
高橋是清蔵相の積極財政で日本中が好景気に沸いていた1934年、東京市日本橋にファスナー加工・販売のサンエス商会が誕生しました(創業者は吉田忠雄)。粗製濫造の風潮に背を向けて、高価格・高品質のファスナーを製造、サンエス商会は急成長して吉田工業所に改名します。戦争中は海軍用のファスナーを製造、品質の高さと納期の短さから陸軍からも発注されるようになります。東京大空襲で工場は焼け、戦後の混乱で再建は難航しましたが、会社は吉田工業株式会社として再出発できました。「(Y)吉田(K)工業(K)株式会社」から「YKK」をファスナーに刻印したため、社名より「YKK」の方が有名になります。そう言えば私も「YKKのファスナー(というかチャック)」として覚えています。「日本人は手先が器用だから,機械は不要」という業界の中で、吉田工場株式会社は大きな借金をしながらアメリカから大量生産の機械を導入、さらにそれを国産化してシェアをどんどん拡大していきました。
1950年代後半から会社に「善の循環」という企業理念が登場します。「他人の利益を図らずして、自らの繁栄はない」という考え方で、それが1968年に「成果三分配(利益を「顧客(価格引き下げ、品質の良い商品の提供)」「代理店や取り引き会社」「社内」に三分すること)」と具体化されました。
1958年吉田忠雄はアメリカでアルミサッシ生産を目撃、これは日本にも普及する、と直感します。アルミ製ファスナー製造のために2年前にアルミ工場を完成させていたこともあり、すぐに建材部門が発足。旧来の建材を好む風潮や代理店・問屋・工務店などの“システム"の壁は分厚いものでしたが、少しずつシェアを拡大していきます。石油ショックでの狂乱物価でもYKKは「価格は上げない。100億円までは会社が損失を甘受する」と発表。実際には狂乱物価は数箇月で沈静化しYKKの損失は42〜43億円でおさまりましたが、それを補ってあまりある社会からの信用を会社は受けることができました。
YKKは海外進出も積極的に行っていますが、各国それぞれの“事情"があってそれぞれに個別の対応が必要になっています。ただそこでも「善の循環」は譲ろうとしない点は、頑固というかさすがというか。
私が現在着ているジャケットのファスナーは金具が小ぶりで手袋をするとはめにくいのですが、YKKでは2008年に「デュアルファスナー」という上からも横からも挿入可能なファスナーを発売しています。これだったら手袋をしていてもはめやすそうです。こうなったら、一点を合わせたらあとは自動でジャーッと閉まるファスナーなんてものも開発して欲しいところです。