シャブリはブルゴーニュであるはずなのだが、ブルゴーニュ本を紐解いて見ても、なかなか登場することはない。
これはナゼなのだろうか?と思うのだが不明だ。
例えばマット・クレイマーの『ブルゴーニュがわかる』などという本でも、シャブリについてはスルーされているのだ。
これだけキャラクタリスティックで、長きに渡って見事なワインを造り続けている生産者がいるにもかかわらずなのだ。
ところで、この表題のワインは先の『パパジイ』にブラインドで登場した。
一本前のサントーバンがあまりにミネラリーでタイトで、シャブリ然としていたので、このワインがその後に続くという流れもあって、我々は格好の餌食となってしまった。
当然のことながら、ジャン・ドーヴィサの力強い味わいには、誰一人としてシャブリと答える者はいなかった。
濃密で、底味がコンクで、僅かに甘みさえ感じるこのスタイルでは、究極のミネラル感さえも、立ち上がりが遅く、ワタクシなぞは当初シャサーニュのグラン・クリュではないか?と思うほどだった。
確かにグラン・クリュには違いは無いが、このワインこそ、シャブリという日本人いや世界のワイン愛好家から、アル意味『しかと』されている、愛すべき硬質白ワインだったのだ。
ジャン・ドーヴィサはかのルネ・ドーヴィサの義理の息子とのことだが、ワインの味わいは違う。
濃密極まりなく、鋼のようで、おとっつあんの言う事などは一切聞かず、わが道を行くという風情だ。
だからこのワインがシャブリと判明した時点で、そうだそうだ造り手はジャン・ドーヴィサではないか?と思い出すほどで、記憶に鮮明な印象として残していたのだ。
こんなワインを思いがけず飲む機会があると、やはり自分の好きなものだけを選んで飲むワイン生活は、ツマラナイ!
開けてビックリ玉手箱なワイン生活がイイのだ、と思う。
ありがたいワインとの邂逅があった、というオハナシでした。
これはナゼなのだろうか?と思うのだが不明だ。
例えばマット・クレイマーの『ブルゴーニュがわかる』などという本でも、シャブリについてはスルーされているのだ。
これだけキャラクタリスティックで、長きに渡って見事なワインを造り続けている生産者がいるにもかかわらずなのだ。
ところで、この表題のワインは先の『パパジイ』にブラインドで登場した。
一本前のサントーバンがあまりにミネラリーでタイトで、シャブリ然としていたので、このワインがその後に続くという流れもあって、我々は格好の餌食となってしまった。
当然のことながら、ジャン・ドーヴィサの力強い味わいには、誰一人としてシャブリと答える者はいなかった。
濃密で、底味がコンクで、僅かに甘みさえ感じるこのスタイルでは、究極のミネラル感さえも、立ち上がりが遅く、ワタクシなぞは当初シャサーニュのグラン・クリュではないか?と思うほどだった。
確かにグラン・クリュには違いは無いが、このワインこそ、シャブリという日本人いや世界のワイン愛好家から、アル意味『しかと』されている、愛すべき硬質白ワインだったのだ。
ジャン・ドーヴィサはかのルネ・ドーヴィサの義理の息子とのことだが、ワインの味わいは違う。
濃密極まりなく、鋼のようで、おとっつあんの言う事などは一切聞かず、わが道を行くという風情だ。
だからこのワインがシャブリと判明した時点で、そうだそうだ造り手はジャン・ドーヴィサではないか?と思い出すほどで、記憶に鮮明な印象として残していたのだ。
こんなワインを思いがけず飲む機会があると、やはり自分の好きなものだけを選んで飲むワイン生活は、ツマラナイ!
開けてビックリ玉手箱なワイン生活がイイのだ、と思う。
ありがたいワインとの邂逅があった、というオハナシでした。