◆その後
瞑想合宿後2ヵ月がたって、その後確実に変わったと感じることがひとつある。家事をほとんど厭わなくなったということである。ささやかと言えばささやかな変化だが、私のなかではとても大きい。
以前の私にとって家事は、できれば避けたいもの、いやいやながらやるものであった。掃除も食器洗いもサティしながらやるんだと思っても、やはりできれば避けたかった。今は、パソコンに向かうことも、瞑想をすることも、掃除をすることも、台所を片付けることも、すべてほとんど等価である。もちろん掃除がけったるいと感じることもないではないが、基本的に家事を厭う気持ちはなくなった。何かを犠牲にしてやってるという感じがないから、ストレスにはならない。
これまでのように何か頼まれたことをずるずると先に延ばすこともあまりない。当然、妻との関係もよくなり、口げんかはほとんどなくなった。「自分の心が変われば、鏡に映したように相手も変わる」ということを実感している。
このささやかな変化が、私の精神状態に大きな変化を与えている。避けたいという抵抗もなくスムーズに生活が営まれる。家事をするたびに私は、自分のなかの何かを確認している。おそらくそれは受動性ということだろう。与えられたものを抵抗なくことごとく受け取っていく。家事についてその覚悟が自分のなかに定まった。その覚悟は、家事以外の面にも影響を与えていて、深いところで静かな自信と喜びが広がっている。
ひとつ課題がある。それは仕事の面である。仕事の面では、この仕事は楽しいけど、できればあの仕事は避けたいというのがかなりある。今後どんなふうに変わっていくのか。それは、受動性に徹して、与えられたものをことごとく受け取っていく覚悟が、どれだけ定まっていくかによるのだろう。
瞑想合宿後2ヵ月がたって、その後確実に変わったと感じることがひとつある。家事をほとんど厭わなくなったということである。ささやかと言えばささやかな変化だが、私のなかではとても大きい。
以前の私にとって家事は、できれば避けたいもの、いやいやながらやるものであった。掃除も食器洗いもサティしながらやるんだと思っても、やはりできれば避けたかった。今は、パソコンに向かうことも、瞑想をすることも、掃除をすることも、台所を片付けることも、すべてほとんど等価である。もちろん掃除がけったるいと感じることもないではないが、基本的に家事を厭う気持ちはなくなった。何かを犠牲にしてやってるという感じがないから、ストレスにはならない。
これまでのように何か頼まれたことをずるずると先に延ばすこともあまりない。当然、妻との関係もよくなり、口げんかはほとんどなくなった。「自分の心が変われば、鏡に映したように相手も変わる」ということを実感している。
このささやかな変化が、私の精神状態に大きな変化を与えている。避けたいという抵抗もなくスムーズに生活が営まれる。家事をするたびに私は、自分のなかの何かを確認している。おそらくそれは受動性ということだろう。与えられたものを抵抗なくことごとく受け取っていく。家事についてその覚悟が自分のなかに定まった。その覚悟は、家事以外の面にも影響を与えていて、深いところで静かな自信と喜びが広がっている。
ひとつ課題がある。それは仕事の面である。仕事の面では、この仕事は楽しいけど、できればあの仕事は避けたいというのがかなりある。今後どんなふうに変わっていくのか。それは、受動性に徹して、与えられたものをことごとく受け取っていく覚悟が、どれだけ定まっていくかによるのだろう。