◆思考にならない思考
朝、寝床の中で脳のシーンとした静まりを感じた。トイレに行った。これまで断食した翌日は空腹感が消えていたのに今日はある程度残っている。どんな条件によるのかは分からない。トイレから帰って座禅を始めると妻が、長男のことで話したいという。私が横柄な態度で返事をすると「いつもそうやって逃げる」と怒る。「断食した翌日のこの時間の瞑想は大切なので1時間待ってくれ」と言って、坐禅に切り替える。
座禅しつつ、「最近の長男の態度についてしっかりかかわらず、逃げていると面はあるな」と感じる。逃げずにしっかり向き合おうと決意して、座禅に集中していく。思考はある。かすかな思考と言えるかどうかも分からない、言葉にもならない思考も次々湧いてくる。それを思考といってよいかどうか、思考への構え、思考以前の言語作用に向かおうとする態度のようなものか。そういう構えは延々と続いていく。それでも、「生理的な瞑想状態」は一定の深まりを見せていく。単純にこの「生理的な瞑想状態」が好きである。50分ほどで切り上げる。
夕方、妻と共に長男と話す。どれだけ彼の心に入っていったかは分からない。少なくとも、私たちの真剣な態度は伝わってほしい。
◆怒り
談話室の方に「SRKWブッダさんの書き込みが、私が進んでいく方向にとってなぜマイナスに作用するかは、いまのところはっきりした答えは分かりません。しかし、この辺は、自分の気持ちを無視しないで大切に温め、自分で確認して行きたいと思います」と書いた。直接つながる話ではないが、今日感じたことを書く。
私は、SRKWブッダさんにかなり強い怒りを覚えている。それはこれまでもしばしば感じていたことだが、今日それをとくに強く感じた。私は、SRKWブッダさんにあのような形で書きこみされることを望んでいないのである。実は談話室を一度閉鎖したころ、電話をいただいたときに「あのような形で書きこみされることが私にとってはブレーキになる」とお伝えした。「にもかかわらず」ということで怒りは強まった。SRKWブッダさんへの強固な信頼があれば、私は怒りを直接ぶつける方向に進んでいったかもしれない。しかしそのような信頼はなかった。今回いただいた電話でも怒りを押し殺して黙した。そこに逃げがあるのでは、と言われればそれは確かだが「逃げずに行こう」と思うほどの信頼もなかった。
朝、寝床の中で脳のシーンとした静まりを感じた。トイレに行った。これまで断食した翌日は空腹感が消えていたのに今日はある程度残っている。どんな条件によるのかは分からない。トイレから帰って座禅を始めると妻が、長男のことで話したいという。私が横柄な態度で返事をすると「いつもそうやって逃げる」と怒る。「断食した翌日のこの時間の瞑想は大切なので1時間待ってくれ」と言って、坐禅に切り替える。
座禅しつつ、「最近の長男の態度についてしっかりかかわらず、逃げていると面はあるな」と感じる。逃げずにしっかり向き合おうと決意して、座禅に集中していく。思考はある。かすかな思考と言えるかどうかも分からない、言葉にもならない思考も次々湧いてくる。それを思考といってよいかどうか、思考への構え、思考以前の言語作用に向かおうとする態度のようなものか。そういう構えは延々と続いていく。それでも、「生理的な瞑想状態」は一定の深まりを見せていく。単純にこの「生理的な瞑想状態」が好きである。50分ほどで切り上げる。
夕方、妻と共に長男と話す。どれだけ彼の心に入っていったかは分からない。少なくとも、私たちの真剣な態度は伝わってほしい。
◆怒り
談話室の方に「SRKWブッダさんの書き込みが、私が進んでいく方向にとってなぜマイナスに作用するかは、いまのところはっきりした答えは分かりません。しかし、この辺は、自分の気持ちを無視しないで大切に温め、自分で確認して行きたいと思います」と書いた。直接つながる話ではないが、今日感じたことを書く。
私は、SRKWブッダさんにかなり強い怒りを覚えている。それはこれまでもしばしば感じていたことだが、今日それをとくに強く感じた。私は、SRKWブッダさんにあのような形で書きこみされることを望んでいないのである。実は談話室を一度閉鎖したころ、電話をいただいたときに「あのような形で書きこみされることが私にとってはブレーキになる」とお伝えした。「にもかかわらず」ということで怒りは強まった。SRKWブッダさんへの強固な信頼があれば、私は怒りを直接ぶつける方向に進んでいったかもしれない。しかしそのような信頼はなかった。今回いただいた電話でも怒りを押し殺して黙した。そこに逃げがあるのでは、と言われればそれは確かだが「逃げずに行こう」と思うほどの信頼もなかった。