瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

「夜回り先生」

2006年10月01日 | 瞑想日記
◆一週間ぶりの書き込みになる。この一週間忙しかったこともあり、「修行」という面からみれば落第だ。その意味で日記にあえて書くべきほどのことがなかった。しかし、こうして日記を書こうとパソコンに向かうと、気持ちがどこかで「求道者」に戻っている。あまり書くほどのことがないと思っても、あえて書くことで気持ちを引き締めることができるのかも知れない。

◆先日、「夜回り先生」として知られる水谷修氏の講演を職場で聴く機会があった。おそらく何回も何回も同じ内容で講演したであろうその話術の、名優の演技にも似た素晴らしさ。にもかかわらず、聴くものに直接訴えてくる本もの力があった。それは、リンパ腫によって余命が限られたいのちを夜の世界に捕らわれてしまった子供たちを救うことに捧げようとする決心の真摯さから来るのだろう。

「自我」がしがみつく一切が死の前にはむなしい。もしその「むなしさ」に徹底できるなら、「自我」によって抑圧もされず、歪められもしない「優しさ」が滲み出てくるのだろう。「優しさ」からのみ行為することが出来るだろう。私も少しでももそんな生き方に近づきたいと思うのだが。

◆「自我」が延々と続ける思考。思考が「自我」を養う。「自我」を養うための思考に、そのつど徹底的に気づいていきたい。たとえ瞑想できなくともそれが修行だ。「自我」を少しでもいい気持ちにさせる思考、自分の価値を感じ確認するための思考、自分の劣等感を補償するための思考‥‥。そのひとつひとつに丁寧に気づいていくこと。
コメント
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