瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

突きはなして思考を見る

2007年10月05日 | 瞑想日記
結局、脳内で次々と繰り広げられる日常生活のなかでの思考にどれだけ気づけるかが問題なのだと思う。一方に、思考にのめり込み、どっぷりと浸かってしまって無自覚である状態がある。他方には、思考・想念はかなりあるにしても、そこに埋没しているのではなく、少し距離をおいて観察することができる状態がある。この二つの差は大きい。

少し想念が連続することはあっても、遅くとも1・2分でそれに気づき、「自分は今こんなことを考えていた」と自覚することができる状態。エゴに駆り立てられるようにして思考している状態に、ほとんどすぐに気づくこと。日常生活の中でこれができれば、かなり意味がある。それは、思考するエゴの愚かさにつねに気づいているということだ。エゴ思考の流れを、ある程度突きはなして見れるということだ。自分のエゴを客観視できるということだ。

今日は、日常の中の思考はある程度気づき続けることができそうだと感じていた。ただし、パソコンに向かって事務的な仕事をしているときなどは、思考へのサティが難しい。いつかも書いたことがあるが、仕事に必要な思考と雑念の類とが区別しにくいからだろう。

しかし、そういう場合も思考へのサティをめざしたい。ある程度できそうな気がする。(そんな風にできそうだと得意になっているエゴへの自覚化‥‥、こうして無限に後退しつつ気づいていくこと。)

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