瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

エゴは悪ではない、ただの無意識だ

2008年11月16日 | 瞑想日記
引き続きエックハルト・トールの新著『ニュー・アース -意識が変わる 世界が変わる-』から。こうして抜書きし、自分の気づきを確認することが、以前にもまして大切な作業になっている。

「誇りや目立ちたいという思いや、『もっと多く』によって自己意識が強化され、『より少なく』によって自分が小さくなると感じるのは、善でも悪でもない。エゴだというだけである。エゴは悪ではない。ただの無意識だ。自分のなかのエゴを観察するとき、エゴの克服が始まる。エゴをあまり深刻に受け取らないほうがいい。自分のなかにエゴの行動を発見したら、微笑もう。」(P51)

「気づき」(サティ)こそが大切なのだということ。これは何度でも確認しよう。私のなかにどうしてもエゴを悪として見てしまう傾向がある。そうではなく、ただ観察すること。そして観察、気づきを少しでも多くすること。たとえばだらだらとインターネット・サーフィンをしているときでも、自分の興味や関心の動きを観察することはできる。こうしてキーボードを打っているときも、心の動きを観察することはできる。善悪を決め付けるのではなく、ただ観察の時間を多くすること。

「モノに対する執着を手放すにはどうすればいいのか? そんなことは試みないほうがいい。モノに自分を見出そうとしなければ、モノへの執着は自然に消える。それまでは、自分はモノに執着していると気づくだけでいい。」(P55)

モノへの執着もエゴへの執着も同じ。手放そうとする必要はない。やはり気づきが大切なのだ。執着している自分に気づいていること。執着を「悪いこと」と思って、無理に手放そうとする必要はない。これも、私がよく陥りがちな傾向かもしれない。

ともあれ、気づきとかサティとか言いながら、日常生活のなかでいかに気づきが少なかったかを強く感じる今日この頃である。
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