瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

その瞬間のサティは?

2008年11月20日 | 瞑想日記
昨日、教室でのあるやり取りの中で思わず「ふざけるなよ」と声を荒げた。とっさに怒りをあらわにした自分に、後から少し傷ついた。最近、一瞬一瞬の感情の動きに気づくことが多くなったと書いたが、実際には、肝心なときにサティが入っていない。その事実に気づいた。

怒りなら怒りの、強い感情が発動した瞬間にその事実に気づいているか。いや、ほとんど気づいていない。しかし、そう確認できたという事実が明日からのサティに何らかの影響を与えていくだろう。

「エゴの隠れた動機はつねに同じだ。目立ちたい、特別でありたい、支配したい、力が欲しい、もっともっと欲しい、ということでる。」(エックハルト・トール) 当たり前のことのようだが、自分の心の動きのなかで毎日、確認していることをあらためて文字で読むと、「やはりそうだよな」という納得と、「自分だけではないよな」という一種の安心感が同時に湧く。

そして「やはりそうだよな」という確認は、これもまた、明日からの、いや今日からのサティに影響を与えていくだろう。より頻繁にエゴの隠れた動機に気づくようになるだろう。エゴを悪と決めつけるのではなく、ただそういう真実の姿を観察するという意味で。

今日は、それほど書きたいことがないなと迷っても、こんな風にたとえわずかでも書くことが、瞑想的な意識を深めるているようだ。
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