瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

苦しみと気づき

2008年11月25日 | 瞑想日記
最近、思考(日常的思考・想念)への気づきが少なく、思考に埋没する傾向が強いと書いた。今日は少しは思考への気づきがあったように思う。思考する自分を相対化して見る視点を少しは持てたということだ。

先きに、心に突き刺さるような苦しみがあると書いた。一時、少し希望が持てそうな気配があり、苦しみが軽減していたが、それほどは甘くはなかった。少しも変らない現実に引きもどされ、苦しみが復活している。しかし、それに伴い、思考への気づきもよみがえってきたように思う。私に苦しみを強いる人は、もしかしたら私に気づきを促すために自らを犠牲にしているのかも知れないと、思えるほどだ。

「苦しみは深みのある人間をつくる。苦しみの原因は形への自分の同一化だが、逆にその苦しみが形との同一化を突き崩す。苦しみの多くはエゴに起因するが、結局は苦しみがエゴを破壊する――ただし苦しみに意識的でなければならない。」(エックハルト・トール『ニュー・アース -意識が変わる 世界が変わる-』P115)

肉体という形も、金や家、財産という形も、思考やそれによって織り成される「自我」という形も、結局はやがて滅び行くがゆえに、一時の夢であり、「幻想」にすぎない。苦しみは、幻想の幻想たるゆえんを、まどろんでいる私に教えてくれているような気がする。
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