瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

仕事中のラベリング

2009年06月11日 | 瞑想日記
◆エックハルト・トール『Stillness Speaks: Whispers of Now』(訳書は、『世界でいちばん古くて大切なスピリチュアルの教え』)より

As long as the ego runs your life, most of your thoughts, emotions, and actions arise from desire and fear. In relationships you then either want or fear something from the other person. (P90)

「エゴが人生を支配するかぎり、思考や感情や行動のほとんどは願望と恐れから生じる。その結果、人間関係においても、相手に何かを求めるか、相手の何かを恐れるかの、どちらかなのである。」

日常の中で湧き起こっては消える、心のなかの独り言(思考)のほとんどは、半ば無意識に続いていく。あまりにめまぐるしく転変していくので、数秒前に考えていたことすら覚えていないことも多い。覚えていないだけでなく、自分が思考していたという自覚すらない場合が多い。そして、そういう内的な独り言に少しでも気づくようになると、そのつど湧きあがる思考や感情が、ほとんど自己中心的な願望と恐れからなっていることが分かる。

瞑想しているときや通勤途中のある程度長い歩行中はともかく、仕事や雑務に追われている最中には、めまぐるしい脳内独り言にどうやって気づけばいいのか。職務に必要な様々なことを考え、そこから関係のないところで思考が飛ぶこともおおいからか、職務に関係する思考と関係のない雑念との区別をいちいちしてサティすることは、ほとんど難しいのではないか。

しかし、最近また私は、ラベリングをかなり意識して、無自覚な日常の思考に少しでも気づきを入れようと思っている。意識してやろうと思えばできるように感じる。ただし、その場合いくつかのことを意識的に心がけようと思っている。

1)ラベリングを修行にしないこと。気楽に努力感なしで、はっと我に帰ったら軽やかにラベリングという感じか。

2)脳内のおしゃべりを禁止事項にしない。思考はいくらでもしていい。ただし、自分の思考気づいていること。思考と戦わない。ただ気づくだけ。

3)日常の雑務に追われていても、ひとつひとつ動作や行動にラベリングする。ラベリングが途切れてきたとしても、数十分ごとに短く深呼吸したり、目を閉じたりする習慣をつけておいて、その時をきっかけにラベリングに戻る。
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1 コメント

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Unknown (yasu)
2009-06-14 10:50:05
いつも拝見させて頂いております。私も日々脳内思考における独り言に巻き込まれ、ラベリングがなかなかできません。ただ単に見つめてあげればいいのに、脳内思考→不要なもの→排除したい→排除することが恐い→と無意識に戦っているような気がします。仰るとおり、脳内のおしゃべりを禁止事項にせず、思考と戦わないことを意識してみようと思います。
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