瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

瞑想合宿レポート4

2005年01月06日 | 瞑想合宿レポート
◆やはり渇愛か
最初の面接(2日目)で先生にこのひどい状態を伝えると、「前回の前半の状態とよく似ているが、単純に同じ轍を踏んでいるとも思えない。かといって他の原因も考えられないので、やはりよい瞑想への渇愛があって、心はより巧妙な隠蔽工作をしているのではないか」ということであった。

私自身、前回のようなサマーディのへ単純な渇愛にはもう囚われてはいないと感じていた。しかし、「渇愛があればよい瞑想はできない」と体験的に知ってしまった心は、表面的な渇愛は消し去っても、より巧妙で手が込んだ手口でやはりどこかに渇愛を隠蔽しているのかも知れない。

まったくサティが入らず瞑想状態にならないというのは、心がある現象を明確に引き起こしているとうことだ。渇愛なり何なりの不善心所がその現象を引き起こしているのは確かだろう。もしそれをサティによる洞察で解消するなら、それが本質的な自己理解につながっていく可能性もある。先生に、そう言って励まされた。

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