瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

さざなみのような心の反応

2010年07月10日 | 瞑想日記
◆「思考と瞑想の心理学」シリーズは、別ブログで書き溜めてあった分は、これでほぼ終わりである。今後は、何か文献を読んで刺激されたり、瞑想の中で新しい気づきがあったらそのつど付け加えていくということになる。

ともあれこの時期にこのシリーズを、整理しながらアップし直したことは自分の中で意味が大きい。実際の瞑想や日常のサティの最中に、これまで以上に自分の日常的な思考と向き合っていたからである。

◆たしかに最近、瞑想や日常の中で湧き上がっては消える想念への気づきが深まっている。その時々によって気づきが深いときも浅いときもあるが、全体としてはやはり、これまでの埋没状態から抜け出しつつある。

やはり思考と戦っているという感じがなくなってきたのが大きいかも知れない。その理由は、心随観を意識的に積極的に行なっているからだ。何よりもまず、瞑想を始めたらすぐにその時の心の状態や瞑想に対するその時の気持などにサティしておく。たとえば「めんどうくさい」とか、「期待」とか。また何かしら思考が続いたら、たんに「思考」とラベリングして集中の中心対象(腹の動きなど)に戻るのではなく、思考に伴う感情や、その思考の性格などにサティを向ける。

瞑想中にある人物のことが思い浮かんだとする。彼にまつわる記憶がよみがえる。しかし実際には、自分でもほとんど気づかぬうちに、彼についての他の記憶や、好ましい感情や、逆に不快な感情や、嫉妬や、反発など、様々な心の反応がさざなみのように続いている。

道で知り合いの人物と出会い、軽く挨拶をして別れた場合も同じである。彼に関係するいくつかの思考や感情が続くかも知れない。しかし、日常の心の反応にサティを心がけていると、一瞬の出会いに伴って、様々な記憶や思考や反応の感情がさざなみのように広がるのがわかる。実際は、それらの中のいくつかにラベリングをするだけだが、それ以外のさざなみのような反応にも気づくようになる。

日曜日は毎週、父を隣の駅近くの教会まで送る。行きは車椅子を押しながら、帰りは早足に歩きながら。調子がよければ思考の連鎖に陥ってしまうことは、ほとんどない。思考が少ない分だけ、歩きながらの身体の微妙な感覚の変化だとか、一瞬のかすかな心の動きだとかに気づき(サティ)が入りやすくなっている。

思考やそれに伴う感情の動きに心随観していると、自我の一瞬一瞬の働きにとても敏感になっていく。と同時に、全体としての自我のとらわれの傾向にも気づきが深まっていく。
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4 コメント

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感情 (シュウ)
2010-07-15 13:44:40
常に自分に気づく事は 繰り返し 繰り返し 繰り返し‥ 大変ですよね 散歩しながら 気づく事が出来るのなら かなりの期間 頑張られたんでしょうね。 私も出てきては消えていく思考を 観ています。 今までの私は 相手に対して 「好き」とか「嫌い」 「怒っている」 「泣いている」 などの感情に 素直では ありませんでした。 「私は怒ってなんかいない!悲しんでナイ!」 と自分の感情を自分で否定して いました。 そうすると 感情は次々と湧き上がり 飽きるまで続く‥ しかし自分の感情を素直に 直視出来るようになって 感情が消えるのが 格段に早くなりました。 初めは 認めるのは怖がったし 恥ずかしい事とすら思っていました。 自分の中に 汚い感情や 闇の感情がある事に 蓋をして観ないようにしていました。 そんな感情に何度も素直に 向き合った時 湧き上がる感情が フッと消える‥ 繰り返し 繰り返し‥
散歩の途中に 聞こえる 鳥の鳴き声 虫の鳴き声‥ 風の心地よさ‥ カラダを抜ける あの感覚‥ 頭が冷たくスッキリする感覚‥
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感情が フッと消える (Noboru)
2010-07-15 21:46:35
シュウさん、コメントありがとうございます。

>しかし自分の感情を素直に 直視出来るようになって 感情が消えるのが 格段に早くなりました。 初めは 認めるのは怖がったし 恥ずかしい事とすら思っていました。

そうですよね。自分の感情を素直に直視できるようになればなるほど、毎日新しい気づき、発見が生まれ、自分の中で何かが変化していくような感覚がやってきます。

そんな変化に向けて、日常の思考や感情に少しでも気づきをもたらしていきたいですね。新しい発見にわくわくしながら。
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わくわく (シュウ)
2010-07-17 01:05:37
今を とても楽しんでいるみたいですね おそらく今まで苦難だった事が あまり苦難と感じなく なって来ているのでは‥?! 表現するなら 動かない心‥ いや 水面に石を投げたとき 水面には波紋が 広がるけど すぐ消える‥ さらに言えば 水面下は ほとんど静かなまま‥ そんな自分に 気付いた時 さらに広がる‥深まる感覚に なるのかも‥ 一瞬 一瞬を大切に して生きたいですね
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成果の落とし穴 (Noboru)
2010-07-17 08:27:05
瞑想は、自分で成果を感じれば楽しいから、ますます意欲が湧きます。でもそれは結局「自我」の満足だから、そこにもしっかりサティが入っていないと、ひどい落とし穴に入り込むことになるんだと思います。瞑想合宿では、そういう落とし穴をいやというほど味わいました。

「成果」を感じるときほど、無限後退しつつサティをしていかざる終えないところが、ヴィパッサナー瞑想のよいところだと思っています。

サティを忘れているとき、いかに一瞬一瞬の今を生きていないかを感じます。「一瞬一瞬を大切に」、サティを心がけたいです。
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