瞑想と精神世界

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思考と瞑想の心理学11:物語としての日常的思考

2010年07月09日 | 思考と瞑想の心理学
先にガンガジの言葉を紹介したが、ガンガジはラマナ・マハルシの孫弟子にあたる。ラマナ・マハルシは次のようにいう。

「あらゆる特定の想念の背後には、『私』という普遍的な想念がある。それがあなた自身である。この『私』を第一の想念と呼ぶことにしよう。」「この『私』という想念が立ち現れたあとに、その他のすべての想念が現れる。それゆれ『私』という想念が根源なのである。」(『あるがままに―ラマナ・マハルシの教え』)

「私」という想念は、つまり「自己概念」と言い換えてもよいだろう。ここで『私』という想念が根源であるということは、発生論的に時間的に最初にあるということではない。構造の上で、すべての思考は「私」を基礎にしているということである。

それで「思考と瞑想の心理学」の課題は、上でいう「私」という想念と、それを構造論的に基盤とする一切の想念(思考)との関係を、構造論的に明らかにしていくことである。

すべての日常的思考は、多少とも「私」という想念を前提とし、「私」を中心にしてめぐっていく。ガンガジは、そのような日常的な思考を「物語」という言葉で特徴付けている。「あなたがあなた自身に語る、あるいはあなたを囲む文化があなたに語ってきた、あなたは何者か、ということについての物語」。 すべての日常的な思考=物語ではないが、日常的な思考には物語の要素が多分にある。

どんな文化、家族、そして個人も、過去・現在・未来、希望、恐れ、神、悲劇、成功、失敗、混沌、調和、尊厳、そして絶望についての物語を持っており、そのクオリティもピンからキリまでである。(『ポケットの中のダイヤモンド―あなたはすべてをもっている

そして個人が、個人の人生を、その一瞬一瞬の出来事を解釈する日常的思考が、個人の物語なのである。「私」の一生の、睡眠中以外のすべての瞬間に何らかの解釈が与え続けられる。日常的な思考は、「私」を中心とした無数の小さな「物語」であり、それらが寄せ集まって、「私」の人生という大きな「物語」を形づくる。

その時代の人々によって解釈され、記憶され、記録され、あるいは忘れられてていく人類の歴史は、人類にとっての「物語」である。それと同じように、病、回復、勇気、弱さ、性、生殖、地位、征服、降伏、所有、失敗など、個人の歴史のななかの様々な出来事が、個人によって解釈され、個人の「物語」に組み込まれていく。

私たちは、日常的な思考のなかで、延々と自分なりの「物語」を語り続けているのだ。
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